ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

夏の始まり ~朝顔市~

梅雨明けでもないというのに連日35度以上の殺人的な気温が続いている関東ですが……
ワタクシは何とか体調も良くなり、仕事に復帰しております。
脳のMRIは予約待ちの状態なのでまだ何とも言えないのですが、左足のしびれと頭のもやもやが気になる所です…。
まあ、モヤモヤしていても始まらないし、リハビリ兼ねて自分でできるマッサージや運動をやりつつ、整体にも通っています。
コタくんもやっと自分で食べられるようになったのでひと安心です(#^.^#)
少し気持ちにも時間にも余裕が出て来たので、久し振りに帰りがけに寄り道をしてきました(#^.^#)

朝顔市と言えば入谷の鬼子母神。 
朝顔市最終日の朝は会社が6時明けで何とか間に合いそうな気がしましたが、何といっても夏の朝は早い。 朝顔は完全に開ききっているはずなので、写真に撮れるかちょっと心配でした。

入谷に着いたのは6時45分頃…食べ物屋台はあまり開いていませんでしたが、やはり人出は多かった…!

歩道脇のお店には沢山の朝顔の鉢が並んでいました\(^o^)/

でも、写真の団十郎は残念ながら「本物の」団十郎朝顔ではありません……。
団十郎朝顔(だんじゅうろうあさがお)は、二代目市川團十郎が歌舞伎十八番の内【暫】で着た衣装の色にちなんでつけられた名前です。
 江戸時代には、団十郎の【粋】な色が流行ったようですが、非常に種が出来にくくて生産量が激減、戦後途絶えてしまった幻の朝顔だったそうです。
今に見る【団十郎】は生産者が販売促進の為に名付けたもので、「本物の団十郎は黄蝉葉・斑なしの葉で濃茶色の無地の日輪抜けの花を指す」のだそうです。
本物の種は専門家の方が所有していて、一般の園芸店等には販売されていないのだとか。
それでも、団十郎独特の【海老茶色】は、団十郎という名が付く朝顔以外にはありません。 復活させるのにも生産者は苦労なさったでしょうね。
その希少性故にか、お買い求めのお客さんの殆どが「団十郎は(鉢の中に)入ってますか?」と訊いてきます。

かれこれ1時間は経とうかという所……気温と日差しは朝顔を萎ませてしまいます…。
朝顔市ですから、お客さんに出来るだけお花を見て頂きたいとお店の方も試行錯誤で、鉢を暗がりの倉庫に置いて、時差で店頭に並べる工夫をしているようです。

ここでちょっと「恐れ入りやの鬼子母神」というダジャレでも知られる、真源寺(しんげんじ)に寄ってみました。

真源寺は「下谷七福神」のうちの一つで、福禄寿も祀っています。

鬼子母神の話を知らない世代もいらっしゃるだろうから少し掻い摘んでお話をしますが……

昔、多くの子を持つ鬼女がいて、自分の子を大切に可愛がっておりました。
鬼女は丈夫な子を産む為に、人の村に下りては人の子を次々さらって食べておりました。 村人たちは子供を喰われてしまう恐怖に、お釈迦様に救ってほしいと嘆願します。
お釈迦様は一計を案じ、鬼女の子を一人、自分の元に隠してしまいました。
村から帰って来た鬼女は、子が一人いなくなった事に気付きます。
鬼女は、気も狂わんばかりに悲しみ、7日間探し続けました。 しかしどこにも子供の姿がありません。
「ああ、私の愛し子がいなくなってしまいました。どこを探しても見つかりません。どうか我が子を見つけて下さい!」
鬼女はお釈迦様の元に行き、泣く泣くお願いしました。
「お前には沢山子がいるが、一人いなくなっただけでこのように悲しみ深く苦しんでいるではないか。 ならば、お前に子をさらわれ、食われてしまった人の親の悲しみは如何ばかりか。」
お釈迦様に言われ、自分の行った罪の大きさに気が付き、鬼女は深く反省しました。
その後、行いを改める事を約束し子を返してもらうと、子を守り、
安産の神・仏法の守護となりました。 そして鬼女の食を満たすために「人の肉の代わりに、人の味のする実を代わりに食べるように」とお釈迦様がザクロをお与えになった…。

というお話なのですが、実は「お釈迦様がザクロをお与えになった」という話は、日本で作られた創作だそうです。
(法華経伝来と流布に関係しているようですが長いので割愛させて頂きます。)
話がまた脱線してしまいましたが、まあ、そんなこんなで鬼子母神をお祀りするお寺ではもれなくザクロが付いてきます(笑)


入谷朝顔市の由来は明治に入ってからと以外にも歴史は浅く、朝顔栽培農家が真源寺の敷地内で育てた朝顔を披露した事から始まった…とか。(大火で焼け出された御徒町の下級武士が、育てた 朝顔を生活費に充てるために売ったのが始まりとか、諸説あります。)

一時期入谷周辺で朝顔作りが盛んになったそうですが、人口増加による宅地化で入谷界隈での栽培が難しくなり、大正時代に早くも朝顔市は廃れてしまったそうです…(-_-;)
1948年(昭和23年)に再び入谷で朝顔市が復活し今に至りますが、現在の栽培地は台東区ではなく、埼玉の草加市・岩槻市・春日部市などから多く仕入れられているそうです。
(草加市や岩槻市も7月に朝顔市があります。)


まだまだ人で賑わう朝顔市ですが、ワタクシはお腹も空いてきたし、ネコ達も待っているのでそろそろお暇です(#^.^#)


朝顔もひまわりも夏休みを連想させる花ですよね。 楽しかったよなあ~夏休み!
朝のラジオ体操も、絵日記も、今となっては懐かしい。 時々子供の頃に帰りたくなりますね、この時期は(#^.^#)
たまには故郷に帰ろうかな~…懐かしい風景に会いに。

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