ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

古代ギリシャ×演劇×早稲田 蛇足レポート

……ここに来たのは何年振りだろう─────
東京の某よさこいチームに所属していた頃────
大隈講堂手前の小広場を借りて、夜間に踊りの練習をしてたなあー……と、昨日の事のように思い出しながら、懐かしい道を歩いた。

先週から気温が一気に10度以上も低下して、気温13度&小雨の本日、藤村シシンさんの講演のため早稲田大学に行ってまいりました。(会社は前もって年休入れた)
早稲田→演劇→古代ギリシャ→藤村シシン
という流れで、早稲田の文化芸術週間で依頼を戴いたとの旨をツイッターで知って、即、予約を入れたのが功を奏し、満員御礼の講演会に入る事が出来た次第であります\(^o^)/


久し振りに見る大隈講堂が、ライトの反射で教会のように神聖に見えてきました。
窓ガラスの間に催し物の大きな看板が掛かっていて、その中でシシンさんがめっちゃ輝いていました\(^o^)/

入場したのが早かったので、席も余裕で選べました。
ワタクシが座ったのはやや後方の真ん中です。メガネが合わなくなってきたので、あまり後ろに下がると見えなくなってしまうため、そこに落ち着きました。

  椅子は劇場と同じで、引き倒しの手すり付き。 前席の背もたれにあるスライド式の机が便利でした。
開演30分前を過ぎた辺りから続々と人が入って来て、席も埋まり始めました。
9:1の割合で女性陣が多いように見えます…。 圧倒的ですね(^_^;)
そしてこの先、上演中は撮影できませんので、写真付きの説明もここまでです。

7時の開演時間と共に、早稲田大学放送研究会の進行でシシンさんが登場しました。
いつものように「神慮めでたく!」があるかとおもいきや、この企画の前説から粛々と始まりました。


さて、早稲田大学は学生演劇が盛んで、アジアで唯一の演劇・映像専門総合博物館を所有しています。 
───歴史をたどると演劇の祖は古代ギリシャであり、演劇が盛んとなれば古代ギリシャではアテナイ。 人口は5万人位で、早稲田大学の総人数4万人余り(4.5万人位?)とやや人数も似ている…ということで、早稲田をアテナイとすると、東京女子大は差し詰めアマゾネスで慶応は……と、古代のポリスに置き換えての小話。
舞台画面に「早稲田は古代ギリシャ」とあったのはこういう経緯か…?と、何となく納得しました(笑)


「アテナイには2万人弱の観客が収容できる大劇場がありますので、市民のほぼ半数が演劇を見ているという事になります。 しかしそこまで巨大だと、半円状の最後方席では舞台上の人は豆粒のようにしか見えず、最前列だと演者と距離が近い砂かぶり席になるわけでして……」


と、ここでシシンさんからの問。


「ギリシャ悲劇 上から見るか? 横から見るか?」


というタイトルバックと共に場内爆笑\(^o^)/


「私は舞台の後ろがいいです。 舞台の上で起こった事に対して、お客さんの反応が見られるから好き。」
と、歴史学が専門というシシンさんらしい御意見がありました。
「古代ギリシャの演劇に親しんで頂ければいいなと思うのですが……」
と、古代ギリシアの劇場におけるいくつかのポイントを説明しておられましたので簡単にまとめます。

 ここでちょっとしたハプニング。
 シシンさんがヤジを飛ばす観客の再現をしようと台に置かれたタマネギに手を伸ばした時、

 「はぁぁああああ……っっ……!!!!」
 
と、若干裏返ったような小さい悲鳴が上がった。
 なになに? と思って見ていると、台の周りで右へ左へわたわたと、ちょっと焦っているシシンさんのお姿。 
 どうやらタマネギに虫(しかも黒光りのアイツ)がいたらしい~~~~(^_^;)
 確かにそれは焦るだろうな~~(笑) 早々にどこかへ行ってくれて無事再開出来たけどー。
 でもオロオロするシシンさんが可愛かったです(笑)

コロスの代表者が劇中の人物と話せる登場人物として参加する事もあるので、観客の気持ちを伝えたり質問したりできる、2.5時元な存在のようです。
(盛り上がるか雑音になるかはその場次第~(~_~;))
そして、特に力を入れて話されていたのが、

でした。
例として1996年の「ギリシャ劇研究会」(どこの研究会か聞き取れなかった…)の報告を上げていましたが、掻い摘むと、
●同じ役の同じセリフでも、仮面一枚隔てただけで別なものに聞こえてくる。
●仮面を着用するのとしないのとでは不気味さ(存在感)が全く違う。
という事。


それと同じ実験を、くじ引きで当たって演者になった法学部2年の内藤さんと文学部3年の堀田さんが舞台上で再現して下さいました。


表現する・演技するという事において表情とは大事なものですが、仮面をつけてしまったら当然、表情に乏しく、感情表現が難しいはず…。
確かに、日本の能と同じく、仮面の傾き加減で喜怒哀楽を表現する事は可能でしょうし、遠くの観客にも判りやすいように目印的な役割もありそうですが……


「元々【神】は擬人化されたもの。 雷であったり大地の恵みであったり…神々の怒りや恐ろしさを人間という器に閉じ込めて現したものなのです。」
と、シシンさんが加えてお話していました。
では仮面を使って何を表現したかったのか
その疑問を一先ず置いて、シシンさんが次に持ってきた話が1999年の岩波書店のアンケート。


:「あなたが一番好きなギリシャ悲劇は何ですか?
アンケート1位:「オイディプス王


「そんなの有名なだけじゃん!!人目に触れる回数が多いだけじゃんっ!!完全に出来レースじゃんっ!!」


と───自分で振っておいて、一番悶え荒れ狂っていたのはシシンさんでした(笑)
因みにシシンさんの好きな悲劇は最下位だったらしい(笑)

ギリシャ劇が好きな人とか興味のある方なら一度は読んでいる有名な物語でしょうけど、ワタクシはどちらかというと「旅人の前に出て手間の混んだ殺戮をする(シシンさん解説)スフィンクスの行辺りしか記憶がありません。(読んだ当時小学生でしたから…(^_^;) シシンさんの説明を受けて、初めて全容知りました。お恥ずかしい。)
その有名なスフィンクスとオイディプスの対決シーンというと、
「声は同一で、二本足・三本足・四本足の生き物は?」※1との問いに、オイディプスは自分に指を指した。という所です。 つまりは自分=人間という答え。
そこで敗れた「メンタルの弱い(笑)スフィンクスは自殺をしてしまう───という話。

一つは 女性の生理
もう一つは アテネの疫病─────
実は、オイディプス王を書いた紀元前427年の僅か3年前……紀元前430年に、アテナイでは疫病が流行り、人口の約3分の1の人々が亡くなっていたのだそうです…。(最新の調査では腸チフスではないかと言われている)
 死んでも埋葬が出来ない程、町中に死体が転がり、悪臭の漂う状況で、人々は人間性を失っていた……。
それからたった3年後の「オイディプス王」……。
後にシシンさんがツイッターで投稿されてますが、「古代ギリシャでの演劇って、身近な不幸を題材にして観客を怒らせると罰金、未来永劫上演禁止になったりする(例:『ミレトスの陥落』)…」という中で、神話が舞台とはいえ疫病から3年後に上演の上に、神官の冒頭のセリフですよ……。
観客は度肝を抜かれた事でしょう。 正に、自分達に降りかかった不幸であり、現実のアテナイを想像するに難くないセリフだったのですから。


疫病という言葉が出て来た瞬間、観客は単なる傍観者ではなくなってしまった…。
「例えるなら…2013年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。 あまちゃんは東日本大震災の前から現代の東北の話を描いています。 つまり日本人ならこの先、この土地がどうなっていくのか、その運命を知っているわけです。 放送を見ていた我々のような感覚を、当時のギリシャの観客達も感じていたのだと思えば…」
……あの震災の2年後に「あまちゃん」を書いたクドカン(宮藤官九郎)すげェ!!と絶賛しつつ、私達にも分かりやすいように説明して下さいました。


───運命に翻弄され悩み苦しむオイディプス王自身の末路を、観客は全て知っている。
物語の進行と共に、観客であるアテナイ市民自らの運命も重ねていく───。
オイディプスが父を殺し、母と姦淫し、やがてその事実を知った時、彼は自身で目を突いた。
「一体どの神があなたをそそのかしたのか?」
「友よ!アポロンだ!
 だがこの目を突いたのは私の手だ! この醜い私の手だ!
神がこの運命に導いた! だが私がこの運命を成し遂げたのだ


ここで重要なのは、運命を受動的ではなく、自分が積極的に参加したという事をセリフで明確に表しているという所です。
「よくあるパターンの、運命を変えてみせるっ!と、神を殴り倒すのではなく、自分が能動的に関わっていく」事で「」が作られている…という事。


「御覧の通り、町は滅びつつある」


中だけでなく、アテナイの「現在」も斜陽にありました。
戦争や疫病・干ばつなどで国力が低下し、アテナイの民主制が衰えてきている中で、観客達はその悲劇をどのような顔で、どのような思いで観ていた事でしょう。
スフィンクスの問で自らを貫くオイディプスの指は、観客でありながら人間であり、獣のようでもある当時の民衆を指している。 自らが今の状況に加担し、現在を作っているのだという事を、オイディプス王の口から民衆に語りかけているわけです…。
演劇という
【仮面】の中に潜む現代批判的なものが何となく見えてきた所で、人気投票最下位だった(笑)シシンさんお気に入りの悲劇・【ペルシアの人々】に移ります。


「この作品は嫌いな人が多いんです…」

曰く、「説教くさい」「ストーリが感じられない」という事らしい(^_^;)
しかしそこはシシンさん、史実としてどう面白いか?という目線で語ってくれました。


「紀元前472年の8年前というと480年、ペルシアとアテネが戦ったサラミスの海戦がありました。 ギリシャ史の好きな人は口から泡飛ばして3時間は語れるというスパルタの300人は有名ですよね! 映画にもなりましたしね!」


ここで一通りサラミスの海戦についておさらい
サラミスの海戦とは、いわゆるペルシャ戦争の戦いの中の一つです。
戦っているのは
アケメネス朝ペルシア帝国で、三度にわたるギリシャ侵攻の中の第二次ペルシア戦争に当たります。(第三次とする数え方もある)
紀元前480年8月、クセルクセス一世率いるペルシア軍がテルモピュライとアルテミシオンで衝突。 
テルモピュライではスパルタが中心で戦っていましたが、迂回路の存在に気付いたスパルタのレオニダス王が危機を察知して他のポリス軍を帰国させ、その間に自軍300人の手勢だけで時間稼ぎの戦いを挑んでいました。
その最中、ペルシア側に寝返った地元民が、ペルシア軍に迂回路を教えた為に挟み撃ちにあって全滅…。

(これが映画になった【300(スリーハンドレット)】)
その後アルテミシオンでも撤退を余儀なくされ、アテナイは陥落。

の一手でした。
が、いざ戦いの火ぶたが切られると、数に勝るペルシア軍は風と高波で船が思うように操作できずに苦境に立たされ、ギリシャ軍は勝手知ったるサラミス湾で縦横無尽の活躍で逆転勝利を収めました。
 (実は、テミストクレスは戦いにサラミス湾の風を利用したのではないかと言われています。 ギリシャの艦船に比べてペルシアの艦船は重心が高く揺れ幅も大きい事から、サラミス湾では自軍が優勢になると踏んでの主張だったのではないかとの事です。)
 詳しい戦闘内容はヘロドトス先生の【歴史】を読んで頂いて、先に進みます(笑)


「【ペルシアの人々】(ペルシア人)という作品は、サラミスの海戦で敗れたペルシアの人々のその後を描いたものです。
コロス(合唱隊)達の出だしのセリフは、異国の人の名前や単語の羅列が長々と続きます…。 簡単には理解できない場面にいきなり観客達を突き放す事で、異国の世界に放り込むという荒業です…。」

勿論当時のアテナイ市民は戦争の結末を知っていますが、逃げ帰ったペルシア人の事など知る由もない…。 
戦争に勝ったか負けたか知らないペルシアの長老や王妃達が不安な気持ちで帰りを待ちわびている中、伝令の敗戦の報が届きます。
悲しみと絶望で、先王ダレイオスの墓に向かい敗戦の許しを請い泣き叫ぶ中、ダレイオスの霊が姿を現しました。
そして延々と続く説教の中で、こう言うのです。


「人間は分を超えた思いを抱いてはならない。以上を望んではならない。」


何でペルシアは負けたのか?
王の力不足か? 
ギリシア人はどういう王がいるのかと問われて、「王政ではない。自分たちが自分の主なのです。」と答えたという。
ペルシア対ギリシャとは、専制君主制対民主制の対決でもあり、「俺たち民主制が正しいのだ!!」という政治思想の対決でもありました。


何でペルシアは負けたのか?
「思い上がりで傲慢だった。思い上がったらそれによって自滅する。自分たちが引き摺り下ろす。今までそうだっただろう?それこそが国を滅ぼしたのだ!」


勝った所でまた敵と同じように嘆かなければならない……
華々しかったのに、結局は滅びゆく運命。
ペルシア人と同じ道を我々も歩んでいる。


流れを聞いた人々は、敵に対して同情し、涙した……。


「争いごとに対する不変性が今も心に響く作品です。
      一番分からない 一番知りたい未来
      同じ運命が待っていたらどうしよう………
  自分が一番後ろの客席に居たのに、更に後ろから人が見ている気がする………」


シシンさんの言葉にはペルシアの人々を観た後のアテナイの人々の気持ちが代弁されていました。 そしてそれは私達の「今」でもあるのだという事も含まれていました。


ここで時間が過ぎてしまった為に、「エウリピデスは!?」と申し訳程度に紹介しつつ、また今度ね!と言わんばかりの笑いを提供。
「最後にオチの決め台詞を、御二方に言ってもらいましょう~!」と合図すると、
「神々がつける決着は、全く予想がつかない!
「それは神のみぞ知る!」


と、講義は終了いたしました~~!!お疲れ様でした~~!!(#^.^#)


ギリシャ悲劇をただの創作だろう? としてしか見てなかったワタクシには目から鱗でした。
このような時代背景や哲学的なものが織り込まれている話だとは思っていませんでしたので、ソフォクレス先生すげェ!!と感動しました。
「舞台の後ろで観客の反応を見たい」と言ったシシンさんの思いが炸裂した観劇論で、とても面白かったし、勉強になりました!! 有り難うシシンさん\(^o^)/


一つ入れ忘れたけど、
「お前泣いているだろう…?」「ううん、タマネギが目に沁みて…」
というセリフは、2500年前には既にあったという事実もお話してました~~!!
「コメディーは時代性があって古びてきたりするし、内輪ネタが多くてとっつきにくい」
という様なコメントをされていました。
あと、記事は講義聞きながら走り書きしたものを纏めたものなので、話が前後してたりミックスしてたりします。 聞いたままではないのでごめんなさい…(-_-;)


また機会があれば観劇をテーマにお話ししてほしいし、参加できたらいいなーと思いつつ、会場を後にしました。
帰り道は淡く照らされた小雨の街をぼんやり見ながら、ゆっくり歩きました。
何だか、街並みが異世界のように感じられて面白かったし。
詰め込み過ぎてパンパンな脳を冷やすのに時間もかかりそうだったしね(笑)

でも とても楽しい時間だったー(#^.^#)

この記事書き終わった時点で次のイベント「12月2日 古代ギリシャ星座ナイトinプラネタリウム(足立ギャラクシティ )」の予定が出てるんですが…… 実は3月11日の星座ナイトの記事……中途半端なんですよね…。 

何というか…絵を描き始めたら止まらなくなったというか…こだわりがあってというか……(-_-;)
そのうち別のイベント入ったりしていつものパターンで……ヤバイ……と思いつつ描いてません…まだ…
だから12月は行くかどうか……取り敢えず早よ記事書かんかい!!ってとこなんですが……うん…。
シシンさんの写真もまだ使えてないから早よ……努力します……(-_-;)

×

非ログインユーザーとして返信する