ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

激動の平成30年でした。

平成最後のクリスマス、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか?
平成最後の年の瀬は、年越しそばで紅白見ながらゆっくり寛いでいらっしゃいましたか?
ワタクシ…? ワタクシは………
いつもと変わらずでございましたですよ…(-_-;)

          上野駅構内のクリスマスツリー。…去年も写したけどアップしてない…(-_-;)
年末年始、普通の会社は仕事納めでお休みに入っていらっしゃいますが、ワタクシの務めている所は祝祭日も無関係。 
今回のシフト、31日の年休が取れた以外はハズレでした…。
ついでに正月も出勤が確定したので、年末年始のあれやこれやは完全に諦めました。(羽子板市とかね) 
まあ、クリスマスについては出勤ルートが上野駅で乗り換えなので、ついでに広場に立ち寄って、巨大なクリスマスツリーを一回りしてから改札を潜る─────というのが毎年の儀式(笑)
カワイイパンダちゃん率いるぬいぐるみの仲間たちが、疲れ切ったワタクシの心と身体をひと時癒してくれるのよね……+:.゚ヽ(*´∀`).:。+゚


因みにこれは2018年のディスプレイ。 ワタクシ的にはこっちの方が好き(#^.^#)                       

そして25日は東京駅のウインターイルミネーションの最終日でもあったので、絶対に立ち寄るつもりで一時間ほど余裕を持って家を出ました── はずだったのですがあ~?
流石に最終日、めっちゃ混雑してました(^_^;)

もうこの風景だけで十分じゃねー?どうせみんな同じだよー…
何といっても出勤途中、遅刻する可能性もあるのに列に並ぶのはどうだろう…と、延々と続く人混みに焦りましたが、結局は列に突っ込んできましたよ(^_^;)


会場の参道脇に設置された液晶パネルに、宇宙空間をイメージした光が色とりどりに変化していく演出はとても綺麗でした。 路面にも映像が映っていたので、アルミのような敷物を床に貼れば盛大に乱反射して足元から楽しめそうなんだけど……と、ちょっと惜しい気がしました。


東京駅の壁では小規模のプロジェクションマッピングがありました。 人垣で道路が渋滞しない為の苦肉の策なんでしょうね。

出勤途中で時間もなかったので見物は20分程度で切り上げましたが、力技でもムリくりでも何とか年末ムードを味わいたい!だって平成最後の年の瀬ですもの!!という願いは叶ったので、一応満足でした(笑) 来年はもう少し余裕を持って2時間位浸れるようにしたいです。 あと、会社は出社時刻ギリギリセーフ(5分前)でした~~(^_^;)

…そういやスカイツリーのイベントも今日が最後だったよな…と、遠くに見てちょっと思い出しました…。
こんな感じで、年末最後のイベントも浸る間もなく急ぎ足で通りすぎましたが、平成30年という年はワタクシにとってすさまじい激流のような一年でした。


先ず一月は古代ギリシャナイト主催のハデス祭に始まり

東京の大雪を撮影するため残業無視して上野に出たり

藤村シシンさんの講座を受けるべく京都へ行ったり(そして心霊写真をゲットする快挙)

もちろん雅叙園にも行ったさ!


……忙しい状況にも関わらず結構色んな所に出向いては、写真を撮ったり資料探したりして小まめにネタだけは収獲しておりました。
それなのに、一向にブログに上がらないというのはどういう事なのか…?というと、

半年前に上げた記事にも書きましたが…………


家探しで本っっ当に忙しかったんです!!


会社が休みの日も出勤の日も、不動産屋さん巡りと家の内見三昧でした。
何としても今年中に……!と思っておりましたから、本当に休む間もない状態でした。
そんでもってワタクシは性質上一極集中型なもので、あれこれ同時進行で出来るほど器用な人間でありません。 それで…どうしても書くのに時間のかかるブログは手が付けられないままになってしまいました…(-_-;)


とにかく家探しは最重要事項。こればっかりは将来の為にも何ものにも譲れない…!!
その一念で半年、探しに探して吟味して………そして………


来た!見た!買った…!!✧٩(*´꒳`*)۶°˖✧(カエサル風)


ママはやったよ!!とうとう買ったよ!!人生で一番大きな買い物をしたよ!!
これでもう家なき子になる心配はないんだ…!
誰に気を遣う事も無く子供達と一生安心して暮らせるんだ…!!


今年一番の課題を初志貫徹!やり遂げた事が平成30年の一番大きな成果であり、ワタクシの人生の中での一番大きな事件でもありました。
本当…一人で手続きやら引っ越しやら大変だったけど…よく頑張った!自分エライっっ!


という事で引っ越したのが10月30日付で、二か月しかない中で年末の大掃除&お片付けをギリギリまで頑張ったんですが、レイアウトがなかなか決まらず、きれいにして年神様をお迎えする事は諦めました……(^_^;)


  で、空いた時間に大晦日に頂いた柚子でお餅の付けダレや田楽に使おうと早速柚子味噌を作りました(笑)

  すり鉢に残った味噌が勿体無かったのでヨーグルトと混ぜ合わせてサラダのドレッシングに使いましたが、
  めっちゃおいしかった!!マヨいらねー!!


何しろ自力でリフォームしながらの作業は時間がかかります~。(中古物件なので)
あとどのくらいかかるかまだ見通しが立っていないのですが、無理せず地道に少しずつ頑張っていこうと思います。


新しい年号が出る頃には落ち着いているといいな~。
新年度は、もう少しゆっくりとお絵描きできる時間が欲しいです。
そしてまた沢山の風景を見て、色んな体験をして、沢山勉強できたらいいな…

と願いながら迎えた新年でございました~~\(^o^)/今年も宜しくです!!

半年なんてあっという間……(-_-;)

紫陽花の花が色褪せつつある梅雨明けの炎天下、いかがお過ごしでしょうか…?

……お久し振りすぎて何から書けばいいのかわからない………
去年暮れから現在、別に、イベントがなかったわけではありません─────。
むしろ忙しい間にも、どうしても行きたい所へは無理してでも参加していました。
ただ……
体調不良と、記事を書く為の纏まった時間が出来なかったわけで……(-_-;)
(いや、こうして打ち込んで写真貼るだけなら簡単だろうけど、写真も加工したり、彩度・明度の調整とか画面構成とかで、SAI使ってレイヤー作って……という作業が非常~~に時間がかかります…。 記事書くための調べものとかもですね…言い訳がましいですが…)


とにかく年末から仕事の量が異常だった。
普段は年末のピークを過ぎるとある程度落ち着いて余裕のある状況になるはずが、正月過ぎた途端、倍以上に物数が跳ね上がるハードワークに突入。
勿論、体調を考慮して残業拒否もしましたが(ブラックではない)年末から悪化した猫の介護と自身の体調不良も重なって、増々椅子に長時間座る事が出来なくなってしまいました(-_-;)
現在もリハビリを続けておりますが、正直、あまり変化はありません。
むしろ去年より悪化している感じ…。(と思うのですが、医師は『いや、去年はこの角度まで足が上がらなかったでしょ?今はこの角度まで上がるでしょ』とか言って否定する…
確実に小走りも出来なくなっているというのに……そろそろ病院変えようかな…。)


相も変わらず、夜勤→朝8時前後帰宅→猫の食事・排泄物の処理・お薬→粗相した場所の掃除(小太郎くんはもう決められた場所で出来ない。突然排泄したりする。)&お布団等の洗濯(×2)・掃除・庭の手入れ→就寝昼12時過ぎ→3時頃起床→猫の世話&お弁当作り→4時半頃出勤……をループ。 
年々疲れが取れにくくてキツイのに、ここに4月末から お家捜し という項目が加わりまして~~~~~~(-_-;)


…………いや………買うんですよ……買う事にしたんですよ…家を………
詳しくはそのうちまた書くと思いますが…とにかく今はなるべく会社が休みの時は寝る!
体調を良くする!そしてまた会社~~~なんですけど、長期療養は先ず経済的にも無理なので、これで何とか乗り切るしかない!!


………と頑張った結果、半年過ぎてて~~~記事も何一つ書いてないよ~~~~!!
で、こんな書き出しになってしまいましたが~~一応言っておきますよ~~
遅く明けましたがおめでとう~~!!\(^_^;)/


半年過ぎてるので今年の予想も今更なんですが、前半で洪水やら地滑り、大阪で震度6弱の地震がすでに起こっている現実……。
本当は1月16日に記事を書いて注意を促したかったのですが、前述の通り、タイムリーには行きませんでした…。
何故16日なのか…? と申しますとー
1月15日に主だった神社でその年の世相を占う筒粥神事が行われるからです。
特に注目は長野の諏訪大社。 諏訪大社の的中率が半端ない事から、毎年一年の参考に見ています。
今年の1月16日付の長野日報によると、


─────下諏訪町の諏訪大社下社春宮で14日夜から行われていた「筒粥(つつがゆ)神事」は15日早朝、釜で炊き上げたヨシを割って今年の世相と農作物の豊凶を占った。五分を満点とする世の中は、「三分五厘」で昨年より一厘下がった……
─────「今年前半はよくない。注意が必要」と促した。作況は「急な災害や天候不順に注意し、手間暇かければ最終的にはいい実りをいただける」とした。
神事は午前5時から幣拝殿で始まり、神職が炊き上げた44本のヨシの茎を1本ずつ小刀で割り、粥の入り具合から占った。氏子らは厳しい寒さに震えながらも神職の言葉に聞き入り、結果を記した目録を受け取った──────


この文面だけ見ていると「毎年の事じゃん」と思われるでしょう。
確かに異常気象による自然災害は年々大型化して被害拡大しておりますが、ここで注目して頂きたいのは「三分五厘」という歩合。
実はこの「三分五厘」は神事的には「三行半」とも呼ばれる凶相だったりする……。
近い所では東日本大震災の年もこの三行半が出ていました…。
今年は既に大阪で震度6弱の地震も発生し、更にこれから秋にかけて水害や土砂崩れなどの災害も警戒しなければならない状況に置かれています。
で、大阪の地震の後の別の占いで
大阪→青森・北海道→群馬・栃木→長崎・福岡→千葉・茨城…という流れで地震と自然災害に注意…だったんですが…現時点(7月2日)で何かもう全部過ぎてしまったような~~


という事で既に注意喚起遅すぎなわけですが、残り後半もいざという時の為に備えだけはしっかりしておきましょう!!

半年も過ぎててアレなんですけど、今年行ったイベントとか立ち寄った所の写真とかは、いつものように後出しでアップしていく予定です。
何か今年はしょっぱなからレアな大雪とか色々写真撮ってたので、勿体無いから絶賛使いたい!!(笑)
ということで、あと半年ですが今年も宜しくです~~(#^.^#)


❀おまけ
  歩合の単位について気になって、例の如くより道して調べて見たら
  思った以上に底が深かったので載せておきます~~(^_^;)

何かもうわけわからん(笑) どうやら仏教から来てるみたいですね。

旻天(びんてん)貫く鬨(とき)の声

澄み渡る空には雲一つなく……というか風が強くて雲なんて箒で掃かれたみたいに遠くにうっすらスジが見えるだけだよ。日差しの割に冷たいよ体感温度……。


そんな秋の朝ですが折角のお休み。 行きたい場所が二ヶ所ほどありまして────
問題はどれを先にするかという選択だけど……迷いに迷って「電車に乗って思いついた方から行こう」と、いつもの優柔不断が発生(^_^;)
で、ギリギリ間に合うだろう鎧武者行列を見に、行田市を先にしました~。

【忍城時代まつり】は忍城城主・成田長親率いる成田軍と石田三成率いる豊臣軍の攻防に ちなんで開催されるお祭りです。

駅から国道125号線に抜けると、通り沿いに童の銅像が並んでいました。
人形は赤川政由氏が制作したもので、市役所前から栄橋までの区間(860m)の歩道上に全39基・平成10年から設置されたものだそうです。
【銅人形の童たちが遊ぶまち】と題された童たちは、昔懐かしの遊び道具を手に愛らしい姿で和ませてくれます。
全部見たい所なのですが時間が押しているので、通ったヶ所の像だけパシャリ。


駅から距離にして600~700m位かな?市役所に到着…と同時に、既に隊列の後姿が~~!
「あああああ始まってる~~~!!」
先頭のお姿はもう見えなかったのですが、藩侯行列・鎧武者行列と分けられて出発していました。

と、少し鬱々してしまいましたが……気を取り直して裏道を抜けて国道方面に進むと、右側に忍城に抜ける門がありました。

並木道を抜けると一気に開けます。 美しい景色です\(^o^)/

忍城は関東七名城の一つに数え上げられるほどの名城で、成田氏の後、松平家忠が入城し、継いで家康の四男・松平忠吉・酒井讃岐守忠勝・松平伊豆守信綱・阿部豊後守忠秋…と譜代大名が忍藩10万石を治めました。(忍城の三重櫓は元禄14年(1701年)阿部正武の時に作られた)

さて……
写真撮影の為に先回りしたはずでしたが……流石に皆さん分かっていらっしゃる(^_^;)
大きなカメラをお持ちの方は既にポジションとっていらっしゃる~~!!
『櫓をバックに橋を入れて』という場所にはTBSさんの脚立がどっかり座っておいででしたので、ワタクシはその横に陣取りました(笑)(TBSドラマ【陸王】の撮影も近くであったようです)


時間が経つにつれて観光客や地元の方々が人垣を作ってまいりました。
行列が入城に差し掛かった頃、皆さんスマホ片手に押し合いへし合い。

その上逆光で眩しかったのですが、位置的に遮るものが何もなかったので、片手を伸ばしてパンフレットでフレームに飛び込む逆光を抑えて何とか撮りました。

太鼓橋を渡る甲冑姿の武者を見るとやっぱり滾ります\(^o^)/

何のアクションも無く行進するだけなので、ほぼ同じ絵しか撮れてません…(^_^;)
ですので、早めに切り上げてワタクシも橋から入場。
これから一般向けの撮影会もあるので、記念に撮りたいお客さん達が続々と城内の会場に大移動です。
ワタクシは混雑が引いた頃に撮らせて頂こうと思っていたので、その合間に少し城の内側を歩いてきました。

             入口でお出迎えでござる~~~~\(^o^)/

(復元範囲が狭いので、トリップするには少々難しかった…)

今はその名残も消え、堀や川だった場所は埋め立てられて住宅地になっています。

そろそろ撮影の人だかりも少なくなってきたかな…?という頃にワタクシもミーハーして甲冑武者の撮影をさせて戴きました。


撮影を終えてお団子屋台で少し腹ごしらえをしましたが、お団子とお茶・お漬物セットで100円~!安すぎる~!と、二つ注文しましたら…
「お連れ様の分ですか?」「いやいや自分一人です」「あ…! そうよね~!そういうパターンもあったわねー!」と、お盆のセットを二つ持って一つにまとめるかどうか焦ってらしたので、「そのままでいいです~~」と二つ持って野外席へ。
相席だった男性の方々は、一人で二人分のお団子セットを平らげるワタクシをチラチラしながら何か言いたげ(笑) 気付かない振りしてバクバク食べました~モグモグ…( ^o(^ ))
ああ、でも、お口直しの柚子大根の漬物がとてもおいしかったから、あと1セットお土産にでも買いたかったなあ~~!!持ち帰り用のパックがなかったので残念でした!(写真も撮り忘れた~~!)



お目当てのおもてなし甲冑隊の演武が始まった為に、門が閉ざされて移動できなくなってしまった~~!!
早く別ルートから出なければ…!!
と言っても、城を出て国道の通りをぐるっと周るため、移動している間に演舞『忍城攻防回想録』が終わってしまった……(T_T)
この後すぐに川越藩火縄銃鉄砲隊保存会「獅子の会」の皆様による火縄銃実演があるので何とか見える場所を探したのですが、皆さんもう前に詰めていらっしゃって、隙間から望遠で観るしかできない状態でした…。
うん。 遅過ぎたね…。

勇壮に始まった鉄砲隊の射撃は、雲一つなく晴れ渡る秋の空に、白煙を上げて響き渡りました。 
戦いの狼煙のように流れる白煙を見ていると、戦国乱世に散った無名戦士たちの魂が空を駆けている様で、少し切なく感じました。
「エイカ エイカ オ──!!」
という鬨の声が聞こえてきそうな、短くも貴重な体験でした。

「第二部の演武も見に来て下され!」と言われましたが…その時間は残念ながら、電車に乗らなければならないので行けませんでした…(-_-;) スミマセン正木丹波守どの……

【おもてなし甲冑隊】に興味を持たれた方は下記の公式ホームページまでアクセス!




帰る前に博物館にちょっと寄りましたが、内部撮影禁止でしたので、お庭の方と三重櫓から見える風景だけ撮影しました。

行田市中は秋の色が濃くなってきました。 秩父の山の峰にも、もうすぐ雪が降ってくるはずです。 今年も早かったなあー…(^_^;)

いつか、日が落ちる頃に燃えるような赤い空をここから眺めてみたいですねー。
忍城でのメインのイベントが終わってしまったので、見物客は市役所で同時開催の行田商工祭物産展会場に移動して行きました。

行田名物ゼリーフライを筆頭に多国籍な食べ物屋台が立ち並んでいました。

ワタクシはゼリーフライを一つ食べながら時計をチラリ。
次の目的地へ移動しないといけない時間なので足早に会場を後にしました。
今度行田市に行くのは春か…夏の蓮祭りの時かな。
行田市は【埼玉古墳群】(さきたまこふんぐん)でも有名だし、【古代蓮の里】には1400年前~3000年前といわれる蓮の花も見られるから、見どころ一杯です(#^.^#)

                マンホールのフタがかわいかったので、道すがら撮りました(#^.^#)


次の目的地は熊谷乗り換えで鴻巣市…。

実は免許更新のため鴻巣免許センターに行かなければならなくて、期日も迫っていましたからついでに……と、やってきたわけです(^_^;)
午前中だと8時半~11時まで・午後だと1時~2時半までの受付なので、ちょっとどっちを先にするか迷ったんですよね~。 講習に2時間かかるのと(2点違反したから…)移動時間考えて結果、お祭りを先行したわけですけどー(笑)
           (更新した後で、ギリギリで行列を観ようか…とか迷ってた)

何とか更新を終えてひと安心。 次はもう鴻巣まで行かないぞ~!と誓いながらセンターを出ました。(埼玉県では違反者だけ鴻巣で免許更新&講習となります…)


帰る頃にはすっかり日も落ちて、辺りは暗くなっていました。

今回は遠出できる機会があって良かったです~。 鴻巣初めてだし~(笑)
いつもと違う風景を見るのは脳が刺激されて、適度な緊張があっていいですね。
少しずつ時間作って積極的に外に出なければなー。 気分転換大事だな!


あちこちでイルミネーションも始まってましたが、そこまで足を延ばすとお家で待っている子供達がお腹を空かせてしまうので、次のお散歩にとって置いて、今回は真っ直ぐお家へ帰りましたとさ(笑)


古代ギリシャ×演劇×早稲田 蛇足レポート

……ここに来たのは何年振りだろう─────
東京の某よさこいチームに所属していた頃────
大隈講堂手前の小広場を借りて、夜間に踊りの練習をしてたなあー……と、昨日の事のように思い出しながら、懐かしい道を歩いた。

先週から気温が一気に10度以上も低下して、気温13度&小雨の本日、藤村シシンさんの講演のため早稲田大学に行ってまいりました。(会社は前もって年休入れた)
早稲田→演劇→古代ギリシャ→藤村シシン
という流れで、早稲田の文化芸術週間で依頼を戴いたとの旨をツイッターで知って、即、予約を入れたのが功を奏し、満員御礼の講演会に入る事が出来た次第であります\(^o^)/


久し振りに見る大隈講堂が、ライトの反射で教会のように神聖に見えてきました。
窓ガラスの間に催し物の大きな看板が掛かっていて、その中でシシンさんがめっちゃ輝いていました\(^o^)/

入場したのが早かったので、席も余裕で選べました。
ワタクシが座ったのはやや後方の真ん中です。メガネが合わなくなってきたので、あまり後ろに下がると見えなくなってしまうため、そこに落ち着きました。

  椅子は劇場と同じで、引き倒しの手すり付き。 前席の背もたれにあるスライド式の机が便利でした。
開演30分前を過ぎた辺りから続々と人が入って来て、席も埋まり始めました。
9:1の割合で女性陣が多いように見えます…。 圧倒的ですね(^_^;)
そしてこの先、上演中は撮影できませんので、写真付きの説明もここまでです。

7時の開演時間と共に、早稲田大学放送研究会の進行でシシンさんが登場しました。
いつものように「神慮めでたく!」があるかとおもいきや、この企画の前説から粛々と始まりました。


さて、早稲田大学は学生演劇が盛んで、アジアで唯一の演劇・映像専門総合博物館を所有しています。 
───歴史をたどると演劇の祖は古代ギリシャであり、演劇が盛んとなれば古代ギリシャではアテナイ。 人口は5万人位で、早稲田大学の総人数4万人余り(4.5万人位?)とやや人数も似ている…ということで、早稲田をアテナイとすると、東京女子大は差し詰めアマゾネスで慶応は……と、古代のポリスに置き換えての小話。
舞台画面に「早稲田は古代ギリシャ」とあったのはこういう経緯か…?と、何となく納得しました(笑)


「アテナイには2万人弱の観客が収容できる大劇場がありますので、市民のほぼ半数が演劇を見ているという事になります。 しかしそこまで巨大だと、半円状の最後方席では舞台上の人は豆粒のようにしか見えず、最前列だと演者と距離が近い砂かぶり席になるわけでして……」


と、ここでシシンさんからの問。


「ギリシャ悲劇 上から見るか? 横から見るか?」


というタイトルバックと共に場内爆笑\(^o^)/


「私は舞台の後ろがいいです。 舞台の上で起こった事に対して、お客さんの反応が見られるから好き。」
と、歴史学が専門というシシンさんらしい御意見がありました。
「古代ギリシャの演劇に親しんで頂ければいいなと思うのですが……」
と、古代ギリシアの劇場におけるいくつかのポイントを説明しておられましたので簡単にまとめます。

 ここでちょっとしたハプニング。
 シシンさんがヤジを飛ばす観客の再現をしようと台に置かれたタマネギに手を伸ばした時、

 「はぁぁああああ……っっ……!!!!」
 
と、若干裏返ったような小さい悲鳴が上がった。
 なになに? と思って見ていると、台の周りで右へ左へわたわたと、ちょっと焦っているシシンさんのお姿。 
 どうやらタマネギに虫(しかも黒光りのアイツ)がいたらしい~~~~(^_^;)
 確かにそれは焦るだろうな~~(笑) 早々にどこかへ行ってくれて無事再開出来たけどー。
 でもオロオロするシシンさんが可愛かったです(笑)

コロスの代表者が劇中の人物と話せる登場人物として参加する事もあるので、観客の気持ちを伝えたり質問したりできる、2.5時元な存在のようです。
(盛り上がるか雑音になるかはその場次第~(~_~;))
そして、特に力を入れて話されていたのが、

でした。
例として1996年の「ギリシャ劇研究会」(どこの研究会か聞き取れなかった…)の報告を上げていましたが、掻い摘むと、
●同じ役の同じセリフでも、仮面一枚隔てただけで別なものに聞こえてくる。
●仮面を着用するのとしないのとでは不気味さ(存在感)が全く違う。
という事。


それと同じ実験を、くじ引きで当たって演者になった法学部2年の内藤さんと文学部3年の堀田さんが舞台上で再現して下さいました。


表現する・演技するという事において表情とは大事なものですが、仮面をつけてしまったら当然、表情に乏しく、感情表現が難しいはず…。
確かに、日本の能と同じく、仮面の傾き加減で喜怒哀楽を表現する事は可能でしょうし、遠くの観客にも判りやすいように目印的な役割もありそうですが……


「元々【神】は擬人化されたもの。 雷であったり大地の恵みであったり…神々の怒りや恐ろしさを人間という器に閉じ込めて現したものなのです。」
と、シシンさんが加えてお話していました。
では仮面を使って何を表現したかったのか
その疑問を一先ず置いて、シシンさんが次に持ってきた話が1999年の岩波書店のアンケート。


:「あなたが一番好きなギリシャ悲劇は何ですか?
アンケート1位:「オイディプス王


「そんなの有名なだけじゃん!!人目に触れる回数が多いだけじゃんっ!!完全に出来レースじゃんっ!!」


と───自分で振っておいて、一番悶え荒れ狂っていたのはシシンさんでした(笑)
因みにシシンさんの好きな悲劇は最下位だったらしい(笑)

ギリシャ劇が好きな人とか興味のある方なら一度は読んでいる有名な物語でしょうけど、ワタクシはどちらかというと「旅人の前に出て手間の混んだ殺戮をする(シシンさん解説)スフィンクスの行辺りしか記憶がありません。(読んだ当時小学生でしたから…(^_^;) シシンさんの説明を受けて、初めて全容知りました。お恥ずかしい。)
その有名なスフィンクスとオイディプスの対決シーンというと、
「声は同一で、二本足・三本足・四本足の生き物は?」※1との問いに、オイディプスは自分に指を指した。という所です。 つまりは自分=人間という答え。
そこで敗れた「メンタルの弱い(笑)スフィンクスは自殺をしてしまう───という話。

一つは 女性の生理
もう一つは アテネの疫病─────
実は、オイディプス王を書いた紀元前427年の僅か3年前……紀元前430年に、アテナイでは疫病が流行り、人口の約3分の1の人々が亡くなっていたのだそうです…。(最新の調査では腸チフスではないかと言われている)
 死んでも埋葬が出来ない程、町中に死体が転がり、悪臭の漂う状況で、人々は人間性を失っていた……。
それからたった3年後の「オイディプス王」……。
後にシシンさんがツイッターで投稿されてますが、「古代ギリシャでの演劇って、身近な不幸を題材にして観客を怒らせると罰金、未来永劫上演禁止になったりする(例:『ミレトスの陥落』)…」という中で、神話が舞台とはいえ疫病から3年後に上演の上に、神官の冒頭のセリフですよ……。
観客は度肝を抜かれた事でしょう。 正に、自分達に降りかかった不幸であり、現実のアテナイを想像するに難くないセリフだったのですから。


疫病という言葉が出て来た瞬間、観客は単なる傍観者ではなくなってしまった…。
「例えるなら…2013年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。 あまちゃんは東日本大震災の前から現代の東北の話を描いています。 つまり日本人ならこの先、この土地がどうなっていくのか、その運命を知っているわけです。 放送を見ていた我々のような感覚を、当時のギリシャの観客達も感じていたのだと思えば…」
……あの震災の2年後に「あまちゃん」を書いたクドカン(宮藤官九郎)すげェ!!と絶賛しつつ、私達にも分かりやすいように説明して下さいました。


───運命に翻弄され悩み苦しむオイディプス王自身の末路を、観客は全て知っている。
物語の進行と共に、観客であるアテナイ市民自らの運命も重ねていく───。
オイディプスが父を殺し、母と姦淫し、やがてその事実を知った時、彼は自身で目を突いた。
「一体どの神があなたをそそのかしたのか?」
「友よ!アポロンだ!
 だがこの目を突いたのは私の手だ! この醜い私の手だ!
神がこの運命に導いた! だが私がこの運命を成し遂げたのだ


ここで重要なのは、運命を受動的ではなく、自分が積極的に参加したという事をセリフで明確に表しているという所です。
「よくあるパターンの、運命を変えてみせるっ!と、神を殴り倒すのではなく、自分が能動的に関わっていく」事で「」が作られている…という事。


「御覧の通り、町は滅びつつある」


中だけでなく、アテナイの「現在」も斜陽にありました。
戦争や疫病・干ばつなどで国力が低下し、アテナイの民主制が衰えてきている中で、観客達はその悲劇をどのような顔で、どのような思いで観ていた事でしょう。
スフィンクスの問で自らを貫くオイディプスの指は、観客でありながら人間であり、獣のようでもある当時の民衆を指している。 自らが今の状況に加担し、現在を作っているのだという事を、オイディプス王の口から民衆に語りかけているわけです…。
演劇という
【仮面】の中に潜む現代批判的なものが何となく見えてきた所で、人気投票最下位だった(笑)シシンさんお気に入りの悲劇・【ペルシアの人々】に移ります。


「この作品は嫌いな人が多いんです…」

曰く、「説教くさい」「ストーリが感じられない」という事らしい(^_^;)
しかしそこはシシンさん、史実としてどう面白いか?という目線で語ってくれました。


「紀元前472年の8年前というと480年、ペルシアとアテネが戦ったサラミスの海戦がありました。 ギリシャ史の好きな人は口から泡飛ばして3時間は語れるというスパルタの300人は有名ですよね! 映画にもなりましたしね!」


ここで一通りサラミスの海戦についておさらい
サラミスの海戦とは、いわゆるペルシャ戦争の戦いの中の一つです。
戦っているのは
アケメネス朝ペルシア帝国で、三度にわたるギリシャ侵攻の中の第二次ペルシア戦争に当たります。(第三次とする数え方もある)
紀元前480年8月、クセルクセス一世率いるペルシア軍がテルモピュライとアルテミシオンで衝突。 
テルモピュライではスパルタが中心で戦っていましたが、迂回路の存在に気付いたスパルタのレオニダス王が危機を察知して他のポリス軍を帰国させ、その間に自軍300人の手勢だけで時間稼ぎの戦いを挑んでいました。
その最中、ペルシア側に寝返った地元民が、ペルシア軍に迂回路を教えた為に挟み撃ちにあって全滅…。

(これが映画になった【300(スリーハンドレット)】)
その後アルテミシオンでも撤退を余儀なくされ、アテナイは陥落。

の一手でした。
が、いざ戦いの火ぶたが切られると、数に勝るペルシア軍は風と高波で船が思うように操作できずに苦境に立たされ、ギリシャ軍は勝手知ったるサラミス湾で縦横無尽の活躍で逆転勝利を収めました。
 (実は、テミストクレスは戦いにサラミス湾の風を利用したのではないかと言われています。 ギリシャの艦船に比べてペルシアの艦船は重心が高く揺れ幅も大きい事から、サラミス湾では自軍が優勢になると踏んでの主張だったのではないかとの事です。)
 詳しい戦闘内容はヘロドトス先生の【歴史】を読んで頂いて、先に進みます(笑)


「【ペルシアの人々】(ペルシア人)という作品は、サラミスの海戦で敗れたペルシアの人々のその後を描いたものです。
コロス(合唱隊)達の出だしのセリフは、異国の人の名前や単語の羅列が長々と続きます…。 簡単には理解できない場面にいきなり観客達を突き放す事で、異国の世界に放り込むという荒業です…。」

勿論当時のアテナイ市民は戦争の結末を知っていますが、逃げ帰ったペルシア人の事など知る由もない…。 
戦争に勝ったか負けたか知らないペルシアの長老や王妃達が不安な気持ちで帰りを待ちわびている中、伝令の敗戦の報が届きます。
悲しみと絶望で、先王ダレイオスの墓に向かい敗戦の許しを請い泣き叫ぶ中、ダレイオスの霊が姿を現しました。
そして延々と続く説教の中で、こう言うのです。


「人間は分を超えた思いを抱いてはならない。以上を望んではならない。」


何でペルシアは負けたのか?
王の力不足か? 
ギリシア人はどういう王がいるのかと問われて、「王政ではない。自分たちが自分の主なのです。」と答えたという。
ペルシア対ギリシャとは、専制君主制対民主制の対決でもあり、「俺たち民主制が正しいのだ!!」という政治思想の対決でもありました。


何でペルシアは負けたのか?
「思い上がりで傲慢だった。思い上がったらそれによって自滅する。自分たちが引き摺り下ろす。今までそうだっただろう?それこそが国を滅ぼしたのだ!」


勝った所でまた敵と同じように嘆かなければならない……
華々しかったのに、結局は滅びゆく運命。
ペルシア人と同じ道を我々も歩んでいる。


流れを聞いた人々は、敵に対して同情し、涙した……。


「争いごとに対する不変性が今も心に響く作品です。
      一番分からない 一番知りたい未来
      同じ運命が待っていたらどうしよう………
  自分が一番後ろの客席に居たのに、更に後ろから人が見ている気がする………」


シシンさんの言葉にはペルシアの人々を観た後のアテナイの人々の気持ちが代弁されていました。 そしてそれは私達の「今」でもあるのだという事も含まれていました。


ここで時間が過ぎてしまった為に、「エウリピデスは!?」と申し訳程度に紹介しつつ、また今度ね!と言わんばかりの笑いを提供。
「最後にオチの決め台詞を、御二方に言ってもらいましょう~!」と合図すると、
「神々がつける決着は、全く予想がつかない!
「それは神のみぞ知る!」


と、講義は終了いたしました~~!!お疲れ様でした~~!!(#^.^#)


ギリシャ悲劇をただの創作だろう? としてしか見てなかったワタクシには目から鱗でした。
このような時代背景や哲学的なものが織り込まれている話だとは思っていませんでしたので、ソフォクレス先生すげェ!!と感動しました。
「舞台の後ろで観客の反応を見たい」と言ったシシンさんの思いが炸裂した観劇論で、とても面白かったし、勉強になりました!! 有り難うシシンさん\(^o^)/


一つ入れ忘れたけど、
「お前泣いているだろう…?」「ううん、タマネギが目に沁みて…」
というセリフは、2500年前には既にあったという事実もお話してました~~!!
「コメディーは時代性があって古びてきたりするし、内輪ネタが多くてとっつきにくい」
という様なコメントをされていました。
あと、記事は講義聞きながら走り書きしたものを纏めたものなので、話が前後してたりミックスしてたりします。 聞いたままではないのでごめんなさい…(-_-;)


また機会があれば観劇をテーマにお話ししてほしいし、参加できたらいいなーと思いつつ、会場を後にしました。
帰り道は淡く照らされた小雨の街をぼんやり見ながら、ゆっくり歩きました。
何だか、街並みが異世界のように感じられて面白かったし。
詰め込み過ぎてパンパンな脳を冷やすのに時間もかかりそうだったしね(笑)

でも とても楽しい時間だったー(#^.^#)

この記事書き終わった時点で次のイベント「12月2日 古代ギリシャ星座ナイトinプラネタリウム(足立ギャラクシティ )」の予定が出てるんですが…… 実は3月11日の星座ナイトの記事……中途半端なんですよね…。 

何というか…絵を描き始めたら止まらなくなったというか…こだわりがあってというか……(-_-;)
そのうち別のイベント入ったりしていつものパターンで……ヤバイ……と思いつつ描いてません…まだ…
だから12月は行くかどうか……取り敢えず早よ記事書かんかい!!ってとこなんですが……うん…。
シシンさんの写真もまだ使えてないから早よ……努力します……(-_-;)

ブログ開設2周年で、めでて~(けど)な~


二周年というのに愚痴と言い訳ばかりになっちゃったけど、ツイッターだとフォロワーさん達に鬱々とした言葉を強制的に投げつけるので嫌な思いさせてしまうし、ここなら見に来る人も少ないので泣き言言ってもいいかなーと思って吐き出しました。

この先の事を考えると不安で一杯ですが、身体に気を遣いつつ、今まで通り季節やイベントを楽しみたいです。
その中で絵を描いて、ブログが書けて、ウチの子達と平穏無事で過ごせたら何よりです。
こんなブログでも定期的に見に来て頂いている皆さんには本当に感謝しております。
昔の思い出や猫の話を書きたいと思って始めたブログですが、何だか興味のある事が次々と出て来るおかげで、なかなか出せないでおります(笑)
少しずつでも描けるように頑張りたいと思います。(ネタだけは沢山あります)


これからも遅延記事が思い出したようにアップされると思いますが(笑)これが通常運行と思ってゆるゆると、宜しくお願い致します~~~~(#^.^#)

                 写真は全てウチの庭の花です。すっかり秋ですね~(^o^)