ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

花の競演

                       

                         上野寛永寺ではすでに神輿の準備がされておりました。
花魁(おいらん)道中と聞くと京都の島原を浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、【花魁】という呼び名は18世紀後半に江戸吉原で使われた最高位の遊女の称号です。
大阪や京都では現在でも最高位は【太夫】と呼ばれています。(それぞれ呼び方にも地域の誇りがありますので、間違えないように…。)
ですので、太夫道中は京都・花魁道中と言えば東京でございます!
少雨決行…雨天中止も予想される中、浅草観音うら一葉桜祭り・江戸吉原おいらん道中に行って参りました!


その前に、吉原について少しだけ説明を致しますと……江戸に吉原が誕生したのは元和3年(1617年)の事。 
元々遊女の店は江戸中に点在していましたが、人口増加と共に整備事業も拡大。その都度幕府は遊女屋の移転を強制させていました。
しかし度重なる立ち退き命令と、遊女の多さで移動が困難という不満があり、いくつかの遊女屋は連名で幕府への陳情を重ねました。
その後、治安や風紀の乱れを憂慮した幕府は、それらを一つの場所に集めて営業させる事を決定。 日本橋葦屋町辺りに幕府公認で吉原は誕生しました。(ちなみに、非公認の遊女屋を岡場所と言います。)
すったもんだでようやく落ち着いた吉原でしたが明暦の大火(1657年)により焼失。
幕府の江戸城下再建を機に、千束村へ移動する事となりました。
なので、最初の吉原を元吉原・移転してからを新吉原と区別されたりします。

新吉原は、鷲(おおとり)神社や浅草寺の裏手にある、田地に囲まれた土地に再建されました。 寺社仏閣を訪れる人々の流れと花街へと流れ込む客の人波で、江戸・明治と、この界隈はとても賑やかだったようです。
しかしその歴史は苦難も多く、明治44年(1911年)4月9日の吉原大火(映画にもなった吉原炎上ね)・関東大震災・東京大空襲等の被害もあり、建物は破壊され、遊女の犠牲者も数多くありました。 
その度に吉原は、一からの再建・復活を繰り返してきました。
しかし昭和33年の売春防止法により、ついに、その長い歴史に幕を下ろす事になりました……。


遊郭は遊女遊びだけではなく、実は様々な文化や芸術が生み出されてきたという側面もありました。 台東区馬道地区町会連合会が、花魁の美しい所作や、その華やかな道中を残せないだろうか…? と、企画して始まったのがこのお祭り……という事だそうです。

それも今年で15回目…吉原開場400年記念というので去年よりも盛大になるはずだろう!と期待を寄せるも、あいにくの少雨…(-_-;)
降ったりやんだりを繰り返しているので、お出掛けするのはほぼ賭けでした……。

おいらん道中は13:00からというスケジュールでしたので、40分前に着いて………
いたのに!どうしたもんか!この人混み!!
雨だから人も少ないだろうという読みは完全にハズレてしまった…!! しくった!!
  ポジション取りを制する者は写真を制す……
出端を挫かれてしまいましたが、諦めずに人垣の少ない場所を探して移動しました。
何とか手を延ばせば写せるだろうという所に入り込み、小雨がぽつぽつ降る中、一行をひたすら待っていました。

           傘をさすと他の方が見えなくなってしまうので、多少の雨は皆さん我慢してます。
やがてざわめきとアナウンスでおいらん道中が始まった事が分かったのですが、この場所の、見える位置に辿り着くまであとどのくらい待てばいいのか……(~_~;)
そりゃそうだろうな…。花魁の上から下まで総重量約30キロを身に着けてだもんな…。
重かろう辛かろうで、なかなかの体力勝負。 ゆっくりしか進めないわ(^_^;)


スタートから何十分くらい経った頃だろう……歌うような掛け声が近付いてきました。

そして、漸く見えてきた花魁道中! ワタクシの前を陣取る皆さんが一斉に立ち上がりました! 我先にとカメラやスマホを向けるので、ワタクシのデジカメのフレームには無数の手しか映っていません! まるで心霊写真です! シャッター切れません!! 
皆さんが一通り撮り終えるのを待つしかないようです!! 
やっとこさ手が引っ込み始めた頃を見計らい、爪先立ちで斜め前方に右腕を伸ばしましたが、正直かなりキツイ体勢です。 しかし行列は待ってはくれません! ここはひたすら我慢です!


吉原には現在二人の花魁がおります。 象潟(きさかた)花魁と藤波花魁のお二方ですが、先の御登場は象潟花魁の御一行でした。

花魁もお美しいけど、禿(かむろ)がかわいくて、つい、後姿も写しました(#^.^#)
上背があると、頭上の大きな花飾りも仮分数過ぎずに見えるから羨ましい…。
♪~アタシゃ~も少し~背が欲し~い~♪~ ←古すぎる…(~_~;)

暫くして藤波花魁の御登場。こちらもまたお美しい…(#^.^#)

そして【吉原の狐舞ひ】の方々の御登場~~!!
江戸時代の吉原では、大晦日に狐の面をかぶって、御幣と鈴を持って練り歩いて新年を寿いだそうです。 吉原の周辺には稲荷神社が5社もあったそうで、狐舞ひが執り行われた背景には、遊女たちがお稲荷さんを信仰していた事も関係しているのかもしれません。

悔しいから去年の狐舞ひも出しちゃう!
こんなふうに賑やかなんですよ~~!ホントは~~! 
ああああああもうっっ!マジでポジション取りは大事ですよ皆さん!! 来年こそは正面から撮りたいっっ!!何としても最前列を狙ってやる~~~っっ!!

こうして……みなさん次々とステージ裏に消えていき、次の催し物の準備を急ぎます。
しかし…小雨とはいえ、高価なお着物が濡れている状態ですので、天候うんぬんよりもそっちの方がとても心配です……(~_~;) 

晴れていれば去年同様、ステージに艶やかな屏風が飾られていたはずでしょうけど、それはさすがに濡れてはいけないものなので、今回は簡素な舞台背景になっていました…。
せめて投げ込みの生け花とか、盆栽でも借りられたらよかったのになあ……。

助六所縁江戸桜(すけろくゆかりの えどざくら)という演目は歌舞伎の十八番で有名だそうですが、ここでは店先から座敷の場までのおいらんの所作や遊郭の作法を見せる為に脚色されています。 ちなみに、助六の愛人・揚巻の【揚】を油揚げで包む稲荷寿司・【巻】を巻き寿司に見立てて詰合せた所から【助六寿司】と呼ばれるようになったとか。 名付けた人も粋な方だったようですね(^o^)

舞が終わると象潟花魁は馴染み客の元へ。
場面は座敷の場へ移り、<掛け見世・盃毎・煙管毎>が始まりました。
吉原ではさまざまな作法や特別なルールがありました。客が花魁とは最初の組み合わせである【初会】から始め、二回目【裏を返す】三回目【馴染み】と少なくとも三回登楼しなければ、親しく接することが出来ませんでした。ステージでの【座敷の場】掛け見世・盃毎・煙管毎などでその様子を再現します。
                             パンフレットより抜粋


花魁のツンデレは究極ですよね~~(^_^;) 三度のお目通りでお部屋へ案内される客もいれば、何度通ってもお眼鏡に適わず、高いお金を落とした挙句に帰される方もいらっしゃるわけですから…(-_-;) しかしそれでもめげずに足繁く通えるなんてよっぽどのお大臣だわ……
この後ステージでは寿祝吉原石橋幸獅子(ことぶきいわうよしわらしゃっきょうさいわいし)という演目で、吉原の狐舞ひ・連獅子が舞われたのですが……ワタクシはちょっと足が痛かったので、ステージを後にして帰りました~~(^_^;) 残念ですが、また来年という事で~~…。(ステージ前の道路にブルーシート張った場所で正座で見学していたので、アスファルトの硬さがほぼ拷問に近かった…。雨も弱いけど止まないし、往路の道中は出来たけど復路はどうやら中止になりそうだとチラッと聞こえてきたので、ちょっと我慢できなくなりました(~_~;) 来年はシートのお座敷に座る為の座布団を持参しよう…)


兎にも角にも、今年も無事おいらん道中が見られてよかった\(^o^)/ 
春はこうでなくちゃね!

そして今年のソメイヨシノは長いよ~!まだまだ散ってなかったし、これから見頃を迎える場所も関東にもまだある!(秩父とか、高尾山とか)これは5月まで行けそうだ!!

上野浅草界隈はこれが最後とばかりに、雨にも負けず頑張っていました。
帰りは浅草駅からなのでついでに浅草寺も寄ってみました。 花祭りのメイン、お釈迦様のお神輿は既に終わっているので、人波も落ち着いてる様子です。


最近は着物をレンタルして観光する外国のお客さんが増えたので、お寺にマッチしていい雰囲気です。桜に負けず、着飾る若い子達も花盛り。
目の保養にはいいですね~(#^.^#)


ワタクシも最近着物を着なくなったから、着付けがアヤシイ……練習がてら観光客のフリして散策してみたいですね。 





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