ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

旻天(びんてん)貫く鬨(とき)の声

澄み渡る空には雲一つなく……というか風が強くて雲なんて箒で掃かれたみたいに遠くにうっすらスジが見えるだけだよ。日差しの割に冷たいよ体感温度……。


そんな秋の朝ですが折角のお休み。 行きたい場所が二ヶ所ほどありまして────
問題はどれを先にするかという選択だけど……迷いに迷って「電車に乗って思いついた方から行こう」と、いつもの優柔不断が発生(^_^;)
で、ギリギリ間に合うだろう鎧武者行列を見に、行田市を先にしました~。

【忍城時代まつり】は忍城城主・成田長親率いる成田軍と石田三成率いる豊臣軍の攻防に ちなんで開催されるお祭りです。

駅から国道125号線に抜けると、通り沿いに童の銅像が並んでいました。
人形は赤川政由氏が制作したもので、市役所前から栄橋までの区間(860m)の歩道上に全39基・平成10年から設置されたものだそうです。
【銅人形の童たちが遊ぶまち】と題された童たちは、昔懐かしの遊び道具を手に愛らしい姿で和ませてくれます。
全部見たい所なのですが時間が押しているので、通ったヶ所の像だけパシャリ。


駅から距離にして600~700m位かな?市役所に到着…と同時に、既に隊列の後姿が~~!
「あああああ始まってる~~~!!」
先頭のお姿はもう見えなかったのですが、藩侯行列・鎧武者行列と分けられて出発していました。

と、少し鬱々してしまいましたが……気を取り直して裏道を抜けて国道方面に進むと、右側に忍城に抜ける門がありました。

並木道を抜けると一気に開けます。 美しい景色です\(^o^)/

忍城は関東七名城の一つに数え上げられるほどの名城で、成田氏の後、松平家忠が入城し、継いで家康の四男・松平忠吉・酒井讃岐守忠勝・松平伊豆守信綱・阿部豊後守忠秋…と譜代大名が忍藩10万石を治めました。(忍城の三重櫓は元禄14年(1701年)阿部正武の時に作られた)

さて……
写真撮影の為に先回りしたはずでしたが……流石に皆さん分かっていらっしゃる(^_^;)
大きなカメラをお持ちの方は既にポジションとっていらっしゃる~~!!
『櫓をバックに橋を入れて』という場所にはTBSさんの脚立がどっかり座っておいででしたので、ワタクシはその横に陣取りました(笑)(TBSドラマ【陸王】の撮影も近くであったようです)


時間が経つにつれて観光客や地元の方々が人垣を作ってまいりました。
行列が入城に差し掛かった頃、皆さんスマホ片手に押し合いへし合い。

その上逆光で眩しかったのですが、位置的に遮るものが何もなかったので、片手を伸ばしてパンフレットでフレームに飛び込む逆光を抑えて何とか撮りました。

太鼓橋を渡る甲冑姿の武者を見るとやっぱり滾ります\(^o^)/

何のアクションも無く行進するだけなので、ほぼ同じ絵しか撮れてません…(^_^;)
ですので、早めに切り上げてワタクシも橋から入場。
これから一般向けの撮影会もあるので、記念に撮りたいお客さん達が続々と城内の会場に大移動です。
ワタクシは混雑が引いた頃に撮らせて頂こうと思っていたので、その合間に少し城の内側を歩いてきました。

             入口でお出迎えでござる~~~~\(^o^)/

(復元範囲が狭いので、トリップするには少々難しかった…)

今はその名残も消え、堀や川だった場所は埋め立てられて住宅地になっています。

そろそろ撮影の人だかりも少なくなってきたかな…?という頃にワタクシもミーハーして甲冑武者の撮影をさせて戴きました。


撮影を終えてお団子屋台で少し腹ごしらえをしましたが、お団子とお茶・お漬物セットで100円~!安すぎる~!と、二つ注文しましたら…
「お連れ様の分ですか?」「いやいや自分一人です」「あ…! そうよね~!そういうパターンもあったわねー!」と、お盆のセットを二つ持って一つにまとめるかどうか焦ってらしたので、「そのままでいいです~~」と二つ持って野外席へ。
相席だった男性の方々は、一人で二人分のお団子セットを平らげるワタクシをチラチラしながら何か言いたげ(笑) 気付かない振りしてバクバク食べました~モグモグ…( ^o(^ ))
ああ、でも、お口直しの柚子大根の漬物がとてもおいしかったから、あと1セットお土産にでも買いたかったなあ~~!!持ち帰り用のパックがなかったので残念でした!(写真も撮り忘れた~~!)



お目当てのおもてなし甲冑隊の演武が始まった為に、門が閉ざされて移動できなくなってしまった~~!!
早く別ルートから出なければ…!!
と言っても、城を出て国道の通りをぐるっと周るため、移動している間に演舞『忍城攻防回想録』が終わってしまった……(T_T)
この後すぐに川越藩火縄銃鉄砲隊保存会「獅子の会」の皆様による火縄銃実演があるので何とか見える場所を探したのですが、皆さんもう前に詰めていらっしゃって、隙間から望遠で観るしかできない状態でした…。
うん。 遅過ぎたね…。

勇壮に始まった鉄砲隊の射撃は、雲一つなく晴れ渡る秋の空に、白煙を上げて響き渡りました。 
戦いの狼煙のように流れる白煙を見ていると、戦国乱世に散った無名戦士たちの魂が空を駆けている様で、少し切なく感じました。
「エイカ エイカ オ──!!」
という鬨の声が聞こえてきそうな、短くも貴重な体験でした。

「第二部の演武も見に来て下され!」と言われましたが…その時間は残念ながら、電車に乗らなければならないので行けませんでした…(-_-;) スミマセン正木丹波守どの……

【おもてなし甲冑隊】に興味を持たれた方は下記の公式ホームページまでアクセス!




帰る前に博物館にちょっと寄りましたが、内部撮影禁止でしたので、お庭の方と三重櫓から見える風景だけ撮影しました。

行田市中は秋の色が濃くなってきました。 秩父の山の峰にも、もうすぐ雪が降ってくるはずです。 今年も早かったなあー…(^_^;)

いつか、日が落ちる頃に燃えるような赤い空をここから眺めてみたいですねー。
忍城でのメインのイベントが終わってしまったので、見物客は市役所で同時開催の行田商工祭物産展会場に移動して行きました。

行田名物ゼリーフライを筆頭に多国籍な食べ物屋台が立ち並んでいました。

ワタクシはゼリーフライを一つ食べながら時計をチラリ。
次の目的地へ移動しないといけない時間なので足早に会場を後にしました。
今度行田市に行くのは春か…夏の蓮祭りの時かな。
行田市は【埼玉古墳群】(さきたまこふんぐん)でも有名だし、【古代蓮の里】には1400年前~3000年前といわれる蓮の花も見られるから、見どころ一杯です(#^.^#)

                マンホールのフタがかわいかったので、道すがら撮りました(#^.^#)


次の目的地は熊谷乗り換えで鴻巣市…。

実は免許更新のため鴻巣免許センターに行かなければならなくて、期日も迫っていましたからついでに……と、やってきたわけです(^_^;)
午前中だと8時半~11時まで・午後だと1時~2時半までの受付なので、ちょっとどっちを先にするか迷ったんですよね~。 講習に2時間かかるのと(2点違反したから…)移動時間考えて結果、お祭りを先行したわけですけどー(笑)
           (更新した後で、ギリギリで行列を観ようか…とか迷ってた)

何とか更新を終えてひと安心。 次はもう鴻巣まで行かないぞ~!と誓いながらセンターを出ました。(埼玉県では違反者だけ鴻巣で免許更新&講習となります…)


帰る頃にはすっかり日も落ちて、辺りは暗くなっていました。

今回は遠出できる機会があって良かったです~。 鴻巣初めてだし~(笑)
いつもと違う風景を見るのは脳が刺激されて、適度な緊張があっていいですね。
少しずつ時間作って積極的に外に出なければなー。 気分転換大事だな!


あちこちでイルミネーションも始まってましたが、そこまで足を延ばすとお家で待っている子供達がお腹を空かせてしまうので、次のお散歩にとって置いて、今回は真っ直ぐお家へ帰りましたとさ(笑)



古代ギリシャ×演劇×早稲田 蛇足レポート

……ここに来たのは何年振りだろう─────
東京の某よさこいチームに所属していた頃────
大隈講堂手前の小広場を借りて、夜間に踊りの練習をしてたなあー……と、昨日の事のように思い出しながら、懐かしい道を歩いた。

先週から気温が一気に10度以上も低下して、気温13度&小雨の本日、藤村シシンさんの講演のため早稲田大学に行ってまいりました。(会社は前もって年休入れた)
早稲田→演劇→古代ギリシャ→藤村シシン
という流れで、早稲田の文化芸術週間で依頼を戴いたとの旨をツイッターで知って、即、予約を入れたのが功を奏し、満員御礼の講演会に入る事が出来た次第であります\(^o^)/


久し振りに見る大隈講堂が、ライトの反射で教会のように神聖に見えてきました。
窓ガラスの間に催し物の大きな看板が掛かっていて、その中でシシンさんがめっちゃ輝いていました\(^o^)/

入場したのが早かったので、席も余裕で選べました。
ワタクシが座ったのはやや後方の真ん中です。メガネが合わなくなってきたので、あまり後ろに下がると見えなくなってしまうため、そこに落ち着きました。

  椅子は劇場と同じで、引き倒しの手すり付き。 前席の背もたれにあるスライド式の机が便利でした。
開演30分前を過ぎた辺りから続々と人が入って来て、席も埋まり始めました。
9:1の割合で女性陣が多いように見えます…。 圧倒的ですね(^_^;)
そしてこの先、上演中は撮影できませんので、写真付きの説明もここまでです。

7時の開演時間と共に、早稲田大学放送研究会の進行でシシンさんが登場しました。
いつものように「神慮めでたく!」があるかとおもいきや、この企画の前説から粛々と始まりました。


さて、早稲田大学は学生演劇が盛んで、アジアで唯一の演劇・映像専門総合博物館を所有しています。 
───歴史をたどると演劇の祖は古代ギリシャであり、演劇が盛んとなれば古代ギリシャではアテナイ。 人口は5万人位で、早稲田大学の総人数4万人余り(4.5万人位?)とやや人数も似ている…ということで、早稲田をアテナイとすると、東京女子大は差し詰めアマゾネスで慶応は……と、古代のポリスに置き換えての小話。
舞台画面に「早稲田は古代ギリシャ」とあったのはこういう経緯か…?と、何となく納得しました(笑)


「アテナイには2万人弱の観客が収容できる大劇場がありますので、市民のほぼ半数が演劇を見ているという事になります。 しかしそこまで巨大だと、半円状の最後方席では舞台上の人は豆粒のようにしか見えず、最前列だと演者と距離が近い砂かぶり席になるわけでして……」


と、ここでシシンさんからの問。


「ギリシャ悲劇 上から見るか? 横から見るか?」


というタイトルバックと共に場内爆笑\(^o^)/


「私は舞台の後ろがいいです。 舞台の上で起こった事に対して、お客さんの反応が見られるから好き。」
と、歴史学が専門というシシンさんらしい御意見がありました。
「古代ギリシャの演劇に親しんで頂ければいいなと思うのですが……」
と、古代ギリシアの劇場におけるいくつかのポイントを説明しておられましたので簡単にまとめます。

 ここでちょっとしたハプニング。
 シシンさんがヤジを飛ばす観客の再現をしようと台に置かれたタマネギに手を伸ばした時、

 「はぁぁああああ……っっ……!!!!」
 
と、若干裏返ったような小さい悲鳴が上がった。
 なになに? と思って見ていると、台の周りで右へ左へわたわたと、ちょっと焦っているシシンさんのお姿。 
 どうやらタマネギに虫(しかも黒光りのアイツ)がいたらしい~~~~(^_^;)
 確かにそれは焦るだろうな~~(笑) 早々にどこかへ行ってくれて無事再開出来たけどー。
 でもオロオロするシシンさんが可愛かったです(笑)

コロスの代表者が劇中の人物と話せる登場人物として参加する事もあるので、観客の気持ちを伝えたり質問したりできる、2.5時元な存在のようです。
(盛り上がるか雑音になるかはその場次第~(~_~;))
そして、特に力を入れて話されていたのが、

でした。
例として1996年の「ギリシャ劇研究会」(どこの研究会か聞き取れなかった…)の報告を上げていましたが、掻い摘むと、
●同じ役の同じセリフでも、仮面一枚隔てただけで別なものに聞こえてくる。
●仮面を着用するのとしないのとでは不気味さ(存在感)が全く違う。
という事。


それと同じ実験を、くじ引きで当たって演者になった法学部2年の内藤さんと文学部3年の堀田さんが舞台上で再現して下さいました。


表現する・演技するという事において表情とは大事なものですが、仮面をつけてしまったら当然、表情に乏しく、感情表現が難しいはず…。
確かに、日本の能と同じく、仮面の傾き加減で喜怒哀楽を表現する事は可能でしょうし、遠くの観客にも判りやすいように目印的な役割もありそうですが……


「元々【神】は擬人化されたもの。 雷であったり大地の恵みであったり…神々の怒りや恐ろしさを人間という器に閉じ込めて現したものなのです。」
と、シシンさんが加えてお話していました。
では仮面を使って何を表現したかったのか
その疑問を一先ず置いて、シシンさんが次に持ってきた話が1999年の岩波書店のアンケート。


:「あなたが一番好きなギリシャ悲劇は何ですか?
アンケート1位:「オイディプス王


「そんなの有名なだけじゃん!!人目に触れる回数が多いだけじゃんっ!!完全に出来レースじゃんっ!!」


と───自分で振っておいて、一番悶え荒れ狂っていたのはシシンさんでした(笑)
因みにシシンさんの好きな悲劇は最下位だったらしい(笑)

ギリシャ劇が好きな人とか興味のある方なら一度は読んでいる有名な物語でしょうけど、ワタクシはどちらかというと「旅人の前に出て手間の混んだ殺戮をする(シシンさん解説)スフィンクスの行辺りしか記憶がありません。(読んだ当時小学生でしたから…(^_^;) シシンさんの説明を受けて、初めて全容知りました。お恥ずかしい。)
その有名なスフィンクスとオイディプスの対決シーンというと、
「声は同一で、二本足・三本足・四本足の生き物は?」※1との問いに、オイディプスは自分に指を指した。という所です。 つまりは自分=人間という答え。
そこで敗れた「メンタルの弱い(笑)スフィンクスは自殺をしてしまう───という話。

一つは 女性の生理
もう一つは アテネの疫病─────
実は、オイディプス王を書いた紀元前427年の僅か3年前……紀元前430年に、アテナイでは疫病が流行り、人口の約3分の1の人々が亡くなっていたのだそうです…。(最新の調査では腸チフスではないかと言われている)
 死んでも埋葬が出来ない程、町中に死体が転がり、悪臭の漂う状況で、人々は人間性を失っていた……。
それからたった3年後の「オイディプス王」……。
後にシシンさんがツイッターで投稿されてますが、「古代ギリシャでの演劇って、身近な不幸を題材にして観客を怒らせると罰金、未来永劫上演禁止になったりする(例:『ミレトスの陥落』)…」という中で、神話が舞台とはいえ疫病から3年後に上演の上に、神官の冒頭のセリフですよ……。
観客は度肝を抜かれた事でしょう。 正に、自分達に降りかかった不幸であり、現実のアテナイを想像するに難くないセリフだったのですから。


疫病という言葉が出て来た瞬間、観客は単なる傍観者ではなくなってしまった…。
「例えるなら…2013年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。 あまちゃんは東日本大震災の前から現代の東北の話を描いています。 つまり日本人ならこの先、この土地がどうなっていくのか、その運命を知っているわけです。 放送を見ていた我々のような感覚を、当時のギリシャの観客達も感じていたのだと思えば…」
……あの震災の2年後に「あまちゃん」を書いたクドカン(宮藤官九郎)すげェ!!と絶賛しつつ、私達にも分かりやすいように説明して下さいました。


───運命に翻弄され悩み苦しむオイディプス王自身の末路を、観客は全て知っている。
物語の進行と共に、観客であるアテナイ市民自らの運命も重ねていく───。
オイディプスが父を殺し、母と姦淫し、やがてその事実を知った時、彼は自身で目を突いた。
「一体どの神があなたをそそのかしたのか?」
「友よ!アポロンだ!
 だがこの目を突いたのは私の手だ! この醜い私の手だ!
神がこの運命に導いた! だが私がこの運命を成し遂げたのだ


ここで重要なのは、運命を受動的ではなく、自分が積極的に参加したという事をセリフで明確に表しているという所です。
「よくあるパターンの、運命を変えてみせるっ!と、神を殴り倒すのではなく、自分が能動的に関わっていく」事で「」が作られている…という事。


「御覧の通り、町は滅びつつある」


中だけでなく、アテナイの「現在」も斜陽にありました。
戦争や疫病・干ばつなどで国力が低下し、アテナイの民主制が衰えてきている中で、観客達はその悲劇をどのような顔で、どのような思いで観ていた事でしょう。
スフィンクスの問で自らを貫くオイディプスの指は、観客でありながら人間であり、獣のようでもある当時の民衆を指している。 自らが今の状況に加担し、現在を作っているのだという事を、オイディプス王の口から民衆に語りかけているわけです…。
演劇という
【仮面】の中に潜む現代批判的なものが何となく見えてきた所で、人気投票最下位だった(笑)シシンさんお気に入りの悲劇・【ペルシアの人々】に移ります。


「この作品は嫌いな人が多いんです…」

曰く、「説教くさい」「ストーリが感じられない」という事らしい(^_^;)
しかしそこはシシンさん、史実としてどう面白いか?という目線で語ってくれました。


「紀元前472年の8年前というと480年、ペルシアとアテネが戦ったサラミスの海戦がありました。 ギリシャ史の好きな人は口から泡飛ばして3時間は語れるというスパルタの300人は有名ですよね! 映画にもなりましたしね!」


ここで一通りサラミスの海戦についておさらい
サラミスの海戦とは、いわゆるペルシャ戦争の戦いの中の一つです。
戦っているのは
アケメネス朝ペルシア帝国で、三度にわたるギリシャ侵攻の中の第二次ペルシア戦争に当たります。(第三次とする数え方もある)
紀元前480年8月、クセルクセス一世率いるペルシア軍がテルモピュライとアルテミシオンで衝突。 
テルモピュライではスパルタが中心で戦っていましたが、迂回路の存在に気付いたスパルタのレオニダス王が危機を察知して他のポリス軍を帰国させ、その間に自軍300人の手勢だけで時間稼ぎの戦いを挑んでいました。
その最中、ペルシア側に寝返った地元民が、ペルシア軍に迂回路を教えた為に挟み撃ちにあって全滅…。

(これが映画になった【300(スリーハンドレット)】)
その後アルテミシオンでも撤退を余儀なくされ、アテナイは陥落。

の一手でした。
が、いざ戦いの火ぶたが切られると、数に勝るペルシア軍は風と高波で船が思うように操作できずに苦境に立たされ、ギリシャ軍は勝手知ったるサラミス湾で縦横無尽の活躍で逆転勝利を収めました。
 (実は、テミストクレスは戦いにサラミス湾の風を利用したのではないかと言われています。 ギリシャの艦船に比べてペルシアの艦船は重心が高く揺れ幅も大きい事から、サラミス湾では自軍が優勢になると踏んでの主張だったのではないかとの事です。)
 詳しい戦闘内容はヘロドトス先生の【歴史】を読んで頂いて、先に進みます(笑)


「【ペルシアの人々】(ペルシア人)という作品は、サラミスの海戦で敗れたペルシアの人々のその後を描いたものです。
コロス(合唱隊)達の出だしのセリフは、異国の人の名前や単語の羅列が長々と続きます…。 簡単には理解できない場面にいきなり観客達を突き放す事で、異国の世界に放り込むという荒業です…。」

勿論当時のアテナイ市民は戦争の結末を知っていますが、逃げ帰ったペルシア人の事など知る由もない…。 
戦争に勝ったか負けたか知らないペルシアの長老や王妃達が不安な気持ちで帰りを待ちわびている中、伝令の敗戦の報が届きます。
悲しみと絶望で、先王ダレイオスの墓に向かい敗戦の許しを請い泣き叫ぶ中、ダレイオスの霊が姿を現しました。
そして延々と続く説教の中で、こう言うのです。


「人間は分を超えた思いを抱いてはならない。以上を望んではならない。」


何でペルシアは負けたのか?
王の力不足か? 
ギリシア人はどういう王がいるのかと問われて、「王政ではない。自分たちが自分の主なのです。」と答えたという。
ペルシア対ギリシャとは、専制君主制対民主制の対決でもあり、「俺たち民主制が正しいのだ!!」という政治思想の対決でもありました。


何でペルシアは負けたのか?
「思い上がりで傲慢だった。思い上がったらそれによって自滅する。自分たちが引き摺り下ろす。今までそうだっただろう?それこそが国を滅ぼしたのだ!」


勝った所でまた敵と同じように嘆かなければならない……
華々しかったのに、結局は滅びゆく運命。
ペルシア人と同じ道を我々も歩んでいる。


流れを聞いた人々は、敵に対して同情し、涙した……。


「争いごとに対する不変性が今も心に響く作品です。
      一番分からない 一番知りたい未来
      同じ運命が待っていたらどうしよう………
  自分が一番後ろの客席に居たのに、更に後ろから人が見ている気がする………」


シシンさんの言葉にはペルシアの人々を観た後のアテナイの人々の気持ちが代弁されていました。 そしてそれは私達の「今」でもあるのだという事も含まれていました。


ここで時間が過ぎてしまった為に、「エウリピデスは!?」と申し訳程度に紹介しつつ、また今度ね!と言わんばかりの笑いを提供。
「最後にオチの決め台詞を、御二方に言ってもらいましょう~!」と合図すると、
「神々がつける決着は、全く予想がつかない!
「それは神のみぞ知る!」


と、講義は終了いたしました~~!!お疲れ様でした~~!!(#^.^#)


ギリシャ悲劇をただの創作だろう? としてしか見てなかったワタクシには目から鱗でした。
このような時代背景や哲学的なものが織り込まれている話だとは思っていませんでしたので、ソフォクレス先生すげェ!!と感動しました。
「舞台の後ろで観客の反応を見たい」と言ったシシンさんの思いが炸裂した観劇論で、とても面白かったし、勉強になりました!! 有り難うシシンさん\(^o^)/


一つ入れ忘れたけど、
「お前泣いているだろう…?」「ううん、タマネギが目に沁みて…」
というセリフは、2500年前には既にあったという事実もお話してました~~!!
「コメディーは時代性があって古びてきたりするし、内輪ネタが多くてとっつきにくい」
という様なコメントをされていました。
あと、記事は講義聞きながら走り書きしたものを纏めたものなので、話が前後してたりミックスしてたりします。 聞いたままではないのでごめんなさい…(-_-;)


また機会があれば観劇をテーマにお話ししてほしいし、参加できたらいいなーと思いつつ、会場を後にしました。
帰り道は淡く照らされた小雨の街をぼんやり見ながら、ゆっくり歩きました。
何だか、街並みが異世界のように感じられて面白かったし。
詰め込み過ぎてパンパンな脳を冷やすのに時間もかかりそうだったしね(笑)

でも とても楽しい時間だったー(#^.^#)

この記事書き終わった時点で次のイベント「12月2日 古代ギリシャ星座ナイトinプラネタリウム(足立ギャラクシティ )」の予定が出てるんですが…… 実は3月11日の星座ナイトの記事……中途半端なんですよね…。 

何というか…絵を描き始めたら止まらなくなったというか…こだわりがあってというか……(-_-;)
そのうち別のイベント入ったりしていつものパターンで……ヤバイ……と思いつつ描いてません…まだ…
だから12月は行くかどうか……取り敢えず早よ記事書かんかい!!ってとこなんですが……うん…。
シシンさんの写真もまだ使えてないから早よ……努力します……(-_-;)


ブログ開設2周年で、めでて~(けど)な~


二周年というのに愚痴と言い訳ばかりになっちゃったけど、ツイッターだとフォロワーさん達に鬱々とした言葉を強制的に投げつけるので嫌な思いさせてしまうし、ここなら見に来る人も少ないので泣き言言ってもいいかなーと思って吐き出しました。

この先の事を考えると不安で一杯ですが、身体に気を遣いつつ、今まで通り季節やイベントを楽しみたいです。
その中で絵を描いて、ブログが書けて、ウチの子達と平穏無事で過ごせたら何よりです。
こんなブログでも定期的に見に来て頂いている皆さんには本当に感謝しております。
昔の思い出や猫の話を書きたいと思って始めたブログですが、何だか興味のある事が次々と出て来るおかげで、なかなか出せないでおります(笑)
少しずつでも描けるように頑張りたいと思います。(ネタだけは沢山あります)


これからも遅延記事が思い出したようにアップされると思いますが(笑)これが通常運行と思ってゆるゆると、宜しくお願い致します~~~~(#^.^#)

                 写真は全てウチの庭の花です。すっかり秋ですね~(^o^)










日帰りで巡る極楽→地獄→現世ツアー ①和のあかり展

和のあかり展 2017
─────え~…イベントというのは日にちが重なる事が多々ありましてー………
あれやこれや行くにも体力と時間は勿論の事、先立つものもそれなりに必要になってくるわけであります…。
それらを調整しました所、スケジュールが大変混みあってしまい、今回一気に3ヵ所を回るという強行軍になってしまいました……(^_^;)
それぞれに時間を割り振っての移動ですから、当然のんびり浸る事が出来ません。

そういう状況でのご案内とさせて頂きますので…いつも以上に文章が混乱しております事はご容赦くださいませ~(~_~;) ……って、いつもの事かあああっ!!

という事で、時間の都合上、先陣切ったのは10時開場の目黒雅叙園でございます!

今年はエレベーターからの入場で、オープニングを飾ったのは中里繪魯洲氏の【無法の空に…】というタイトルの馬の像でした。

「無方の空に…」


まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう 宮澤賢治「農民芸術概論綱要」より
闇があるから光がある陰と陽 その明暗の淡いが情緒を生む
遠く宇宙からもやってくる光 光ってなんだろう・・・
光の種は火 火はノスタルジー
宮澤賢治は虫や鳥や草や石や星などと対等に共感してすべての幸福を願った
星も人も馬もおなじ宇宙を構成する微塵 そこには光も含まれているに違いない
私はここに馬を造形したこの馬も宇宙の一つであり包蔵された たくさんのガラス球もそれぞれが宇宙である
 あなたが立つ ここもまた銀河系宇宙の場です
 どうぞ皆さんも身の回りの宇宙を感じ自身の宇宙と共振させ無方の空へ解き放してみてください・・・       

                     
                               目黒雅叙園 ホームページ内より抜粋

そうしましたら……やっぱり文章を読んでからの方が、この像の存在の深さにダイブできた気がします。
ワタクシは何分ガサツに出来ておりますので、こうでもしないと気付かない事が多くて、詩的な感性をお持ちの方々が羨ましい限りでございます……(-_-;)
中里氏の他の作品にも興味を持ったので、早速ホームページに飛んで見てきましたら……
やはり、詩的で繊細でした………(#^.^#)


                                            


お次は階段を上って十畝の間
大きな鬼瓦と獅子の焼き物が睨みを利かせておりました。

愛知県西三河地方で生産されている粘土瓦は、三州瓦と呼ばれています。
丸栄陶業株式会社(愛知県碧南市)は創業216年を数える日本最古の瓦メーカーだそうです。 そのいらかの壁面を奥に見て、棟方志功の版画を行燈にした作品が取り囲みます。

床の間を見ると「三保の松原」と題した屏風絵が飾られておりました。
銭湯絵師 ・丸山清人氏の作品です。
丸山氏はその繊細な質感で、銭湯以外にも老人ホームなどの施設で作品を手掛けていらっしゃるそうです。


       銭湯絵とは約100年程前に生まれたアートで、現在、銭湯絵に係わるペンキ絵師は日本には3人 
       しかいらっしゃらないのだとか…。 映画館の看板画と同じく、味のある絵が将来見られなくな
       るかもしれないというのは寂しい事ですね…。 どなたか継承してくださるといいのですが…。


作品が銭湯の壁から飛び出して、こうして屏風絵になってもおおらかな風景。 
明るいながらも落ち着きのある色合いが気持ちをゆったりさせるのかな。 
リラクゼーション感、ハンパないです(#^.^#)
ここで同時に展示される事で、部屋の空気も通って軽くなった気がしました。
十畝の間は室内で戸外を表現されていて、懐かしい昭和の風景を見るようでとてもなごみました。 


でも……【和のあかり】がメインなんですけど……お花大好きなワタクシは生け花の方に強く惹かれてしまい、四方八方写真撮りまくっておりました~(#^.^#)

だって生け花の作る空間の方が、圧倒的にワタクシ好みだったんですもの~~!!
ああ、これは、次の生け花×百段階段展がヤバいな~~…と思いつつ、名残惜しくも部屋を後にしました。


漁樵の間は常連の青森ねぶたでした。

「相馬太郎良門妖術を修る 竹浪比呂央」という作品ですが……
ここで記念写真を撮られる観光客の団体様が多くて、結構順番待ちが長かったです(^_^;)
相変わらず部屋の装飾に負けない迫力でした!

草丘の間では、切り絵アートで去年、最上階で展示されていた早川鉄兵氏の「清流の森 」が登場……。
え? ここで切り絵アート? 
と、早くもここでファイナルな予感を感じつつ部屋に入ると…目を見張る世界でした…

沢山の命が集うその場所は、動物園ではなく、豊かな森。

渓流に泳ぐ魚たちも森を作る構成員。



この森を散策しながら、「もっと広い展示スペースで、昆虫や恐竜などを加えた作品が是非見たい!」 と思いました。
(これを常設したカフェがあれば…図書室があれば最高です!! 誰か作って…!)

今年もワタクシ、早川氏の切り絵のモチベーションに圧倒されました……
ですが……ここで浸ってもいられないので次の間へ………

静水の間は、工芸作品が様々な光を演出していました。

下の4点は橋田裕司氏の作品。
針金でフレームを作って和紙を張った照明を手掛ける橋本氏は【照明塾】の塾長で、【照明塾の手づくり照明教室】を全国で開いていらっしゃるそうです。
手掛ける造形もユーモラスで可愛いものや、美しいフォルムのものなど多彩です。

帳面になり、画材になり、壁になり、服になり、照明器具になり……和紙は本当に優れものです。


       



そして日本ステンドグラス作家協会からも素敵な作品群が…!!

ステンドグラスの縁取りは木版画や切り絵にも似ています。
しかし、はめ込まれたガラスを透過する光は深い色を作り出し、和紙とは違った力強さを感じます。 

他にも作品があったのですが、写真写りが悪かったのでこれだけにしました…(-_-;)


七宝作家の常信 明子(じょうしん ひろこ)氏は、今年 東京藝術大学大学院美術研究科工芸専攻を修了されたとても若い作家さんです。
しかしその作品は、熟練の洗練された技が感じられます。
写真では残念ながら色がくすんでしまいましたが、ホームページで御覧いただければ、春めいて軽やかな、可愛らしい作品である事がお分かりになると思います。
今とても注目される作家さんの一人です。 
               


静水の間の奥にある星光の間ではまさに【照明】を中心に展示しておりました。
入口で造形作家の 川村忠晴氏の【ススキのフロアランプ】がお出迎えしてくれました。

去年に引き続きの御参加で、植物を材料にした照明の数々です。

次の作品は照明作家の 弦間康仁氏。
こちらはユニークで大胆な作品を見せて下さいました。
展示テーマは【夜の森】で、「人が作り出した文明と自然とが、深い森の中で共鳴し合いながら静かに共存する空間を表現した。」というコンセプト。

水滴の映るガラスや、物の形や葉脈に添って輝く照明が斬新で面白いと思いました。
文字の広がる照明も、公園などの水辺に浮かべて見てみたいです。 その文字が回転するなら尚の事、回り灯籠のようで面白いかもしれないなあー(#^.^#)
そんな風に用途を巡らせるような、新しいアート感溢れる作品でした。


        


清方の間は上出長右衞門窯 上出惠悟氏の九谷焼の展示と、その染付の絵を元に構成された映像【笛吹電影樂團】が上映されていました。
【笛吹】は中国明時代末(十七世紀前期)の古染付の絵柄のひとつで、上出長右衛門窯では70年程描き続けているそうです。 最近では現代の楽器を持たせたりしてバリエーションに富んだ湯呑の制作もしていて、全部揃える為に購入する方もいらっしゃるとか(#^.^#)

実は、大きな湯呑に描かれている染付の絵も、プロジェクションマッピングで動いているのです(#^.^#) 笛を吹いているのにドラムに邪魔されて困っています(笑)
さて、そろそろ最上階なのですが………
ワクワクしながら部屋を出て、最後の階段を足早に上りました。

ホームページを覗くと、様々な形のランプシェードやグッズがあって、こっちの方も同時に展示してほしかったなあ~と思う様なものばかりでした!


        

そして…いよいよ頂上の間…ですがああああああっっ!!!

部屋の奥から飛び込んでくる群青色!! この世界は何っ!?

畳の上にはタイルカーペットが敷かれていて、光を反射させて、まるで水の上に立つようでした!

部屋の上には江戸風鈴がネットに吊り下げられています。 不規則に揺れる影がノスタルジックな気分を誘います。
そして……人が移動したのを見計らってシャッターを切る!切りまくる!!

こんなチャンス、いつまたあるか分からないので、とにかく写真を撮るのに集中しました! ああああ生け花を照らす光源と、バックの群青色に輝くライトがそれぞれの加減で効果をもたらしている! この空間のなんて美しい事……!!

竹かごをこんな風に利用するなんて、目からうろこ、素敵な発想です…

高い角度からシャッターを切ると、床の映り込みが深海を思わせるような景色が撮れました…。 生け花が、海底のサンゴやカラフルなイソギンチャクのようにも見えてきます。
まさに陸の竜宮城です……。

座って見られるように用意されているのだと思うけど、洛中髙岡屋(京都府京都市)の「おじゃみ座布団」が床に置いてありました。 が…、どなたもお座りにならないのは、この作品の邪魔をしたくないという気持ちの表れではないでしょうか…。
そのくらい幽玄で格調高い 【一葉式いけ花】 次期家元・ 粕谷尚弘氏の作品でございました……。


他にも写真を撮りましたが、全部出せないのが残念です…(-_-;)

金魚の水槽も入口にありました。(忘れてた)

今回の【和のあかり】も素晴らしい内容で、本当に行ってよかったです!!
最後の部屋もそうでしたが、どこかでこのままの形で保存してくれないか?と思うくらいに素敵でした! これで終わりなんて勿体無さすぎです! 住みたい!!(笑)


そして最後に例の大門を周るべく、通路を渡ります。

大門の通りはお祭りの灯りでにぎやかでした\(^o^)/

長崎ランタンフェスティバルの龍もありましたが……どうにもピントが合わないというか、鱗などの模様がつぶれて真っ赤に映ってしまう…(-_-;) 
何とか撮れたのはこの角度……

ワタクシにはこれが精一杯でした~~(^_^;) 未熟です~~~!


これにて【和のあかり2017】は終了~! さあ、帰るぞ~~!
と、いつもはここで終わるのですが……
今回はあと2回!! 行かなければならぬイベントがあるのでござるよ~~!!
感動で既に頭パンパンなのですが、何とか容量を空けて、貪欲に突き進みますっ(^_^;)


お次は金魚! 
アートアクアリウムにいざ出陣でござる~~~!!


という事で、②に続きます~~~\(^o^)/
         (本当は八百屋お七の話も出したかったけどまた今度にします~(~_~;)…)


夏の始まり ~浅草ほおずき市~

7月10日は四万六千日で、観音様の功徳日─────
功徳日とは、一日お参りするだけで100日も1000日もお参りした事になるという、ボーナスポイント・更に倍!!というお得な日の事です(笑)
寺によって功徳日が違うらしいのですが、浅草浅草寺では年に12回の功徳日が設けられています。
その中でも7月10日が最大級で、46000日…約126年に相当し、【一生分の功徳が得られる】というから「もう二度と行かなくていいんだな!? お布施もお賽銭もやらなくていいんだな!?」とツッコミたくなるような超法規的な反則技が出る日です(笑)

 

   



       


と…通り沿いには入りたいお店ばかり並んでいるのですが、制限時間があるのでスタスタと歩を進めまして……道を抜けると目的地の浅草寺境内に出ます。
                              藤棚の下には涼を求める人でいっぱい。

 棚の擬木にはミスト用の管が仕込まれていました。   出店の氷水に手を突っ込む子供。 夏の屋台でよく 
                           見かける光景ですよね(笑)                                                                   

この日はやや強い風が吹いていたので、結構涼しかったです。
(前日の方が風もなく厳しい暑さだった…。だから、会社お休みだったけど行かなかったの……(^_^;))
風で入り口の紫の幕も大きくはためいて、その隙を抜けるように沢山の風鈴の音が聞こえてきます。 音を辿って参道脇に出ると、沢山のほおずきの店が立ち並んでいました。

ほおずき市には夕方の涼しい時間を待って出かける人も多いので、5時を過ぎて終盤になっても、どの店も人が途絶える事がないくらい大盛況です\(^o^)/

今やほおずき市と言えば浅草───となっていますが、実は、港区の愛宕神社が起源であります。(羽子板市もこちらが最初)
「境内で自生しているほおずきを飲めば、子供の癇・婦人病に効く」と言われ、愛宕神社で青ほおずき市が立つようになりました。

  江戸時代も薬として利用されていましたが、それはほおずき市で言われる婦人病の薬としてではなく、堕胎に効果があるという事で使われたようです……(-_-;)


もう一つ薬効があるとされる子供の癪(しゃく)というのは、夜泣き・疳(かん)の虫とも言われる、いわゆる成長期の自律神経のバランスの崩れから起こる症状の事です。 
お母さま方なら乳幼児の夜泣きに悩まされた事が多々あるでしょうから、よく御存じのはずですね。

このように伝承として残る程、夜泣き疳の虫は世の母親の悩みどころだったのです。
そこでほおずきを煎じて飲ませれば…とありますが、効き目は全くないようで(笑)
「金つぶ~ひ~や~~きお~がん~♪」「赤ちゃんひとつぶ ボク5つぶー」
のコマーシャルで知られ、夜泣き疳の虫によく効く樋屋奇応丸に含まれる生薬にも残念ながらほおずきは含まれておりません。(関東だと宇津救命丸が夜泣き疳の虫の薬として有名)
因みにこれらのお薬が製造されたのは約400年程前ですが、一般に普及するのは明治期になってからの事です。(何しろ秘伝薬なので一粒の値段が高く、とても庶民が買える代物ではなかったのです)
まあ……実際にはほおずきを煎じて飲むという行為よりも、行ってきたよ~!というお土産感覚で手にするのが主だったでしょうから、効く・効かないは気にしなかったのかもしれません(笑)

さて、四万六千日の縁日にはもう一つ、この日だけに特別に授与される【雷除け】のお札があります。
雷除けとして有名なのは北野天満宮や生身(いきみ) 天満宮ですが、菅原道真には関係なく、浅草寺ではその昔、赤トウモロコシを雷除けの縁起物として販売しておりました。


遡る事江戸時代に、ある村で雷の被害があったのですが、赤トウモロコシを吊るしていた家だけがその被害から逃れられたそうです。

雷は時に火災にも繋がりますから、信心深い江戸の農民はこぞって買い求めた事でしょうね。(でも意外と歴史は浅かったんだなあ~(^o^) ホント、何でも信心ですね!)
四万六千日は、功徳日とほおずき市と雷除けの授与というトリプルのごった返しで、お祭り大好き江戸っ子には楽しい娯楽の一つだったんでしょうね~(笑)
ワタクシも縁日の賑わいは、おいしい食べ物や遊び所が沢山あって大好きです\(^o^)/


でも、短い後ろ髪を引かれつつ、浅草を後にしなければなりません…。

そろそろ電車のお時間が迫ってまいりました。
東京は到る所高い現代建築に囲まれて窮屈なのですが、境内に出ると青空が大きく広がって、何だかホッとします。 

遮るものは何もない、突然の開放感がある場所…。
こういう場所が一番【空】に近い所かもしれない…。
と、振り返る浅草寺の空を見上げてそんな風に思いました。


このまま会社へ向かうのですが、元来た道をそのまま戻るのは勿体無い気がするので、ちょこっとだけ参道を寄り道して、筋道から抜けて行く事にしました。



緑もすっかり夏の色に変わって、作る木陰もクッキリと濃くなっていました。

今週末からは子ジャリどもが(笑)夏休みに入って、どこもかしこも占領して更に混み混みになっていくんだろうなあ~~(^_^;)
風情も旅情も感じる隙はなくなる程、パワー全開の若者たちと渡り合って行けるか、些か不安でございますですよ……。


元来た道に出て、来るときに見られなかった風景が目に映りました。
屋根より低いスカイツリーと風鈴のコラボを眺めつつ、結構いい風景かもしれないなあ…と、何だか妙に納得した気分になってしまいました。
分かるかなあ…? こういうのって(#^.^#)


    こんな景色が、今も昔も変わらない【粋】とかいうものかもしれない。