ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

昨日2月29日…だったからね。

■日曜日は東京マラソンという一大イベントが開催されました。朝は久し振りに霜が降りて冷たかったのですが、昼には暖かくなっていいお出かけ日和でした。

前日、ワタクシは夜勤でございまして…朝帰って来ても出かけられず、またこの夜も出勤でござったので何にもない一日でした…。

そして翌日は仕事明けでしたが、疲れてどこにも行けないだろうから、せめて帰りしなお花だけでも…と寄り道して、咲き誇る椿を撮りました。

夜から小雨がパラついてたので少し濡れていました。青空をバックに…とはいきませんでしたが、どんな天気でもやっぱりお花はキレイで和みます(#^.^#)


閏日に因んで何か記事を書こうかと思ったのですけど、ちょっと具合が良くなかったので夜まで寝てました…。アップするのに日付を跨ぐことになるけど、私的にはまだ29日なので(笑)ちょこっとだけ。


閏年が採用されるようになったのは紀元前46年、「ユリウス暦」がローマで使用されるようになってからの事です。更にその後精度を増した「グレゴリオ暦」が誕生して、日本でグレゴリオ暦が採用となったのは明治5年(1872年)12月2日の次の日、本来明治5年12月3日を明治6年1月1日(1873年1月1日)改暦しました。

ローマはどうだったかは分かりませんが、明治の日本は改暦によって非常に混乱しました。

時計はそれ以前からお目見えしていましたが、『西洋の各国においては昼夜を二十四時に分かつ。……西洋時計をもって時を知るには、十二時のみ我が昼夜の九つ時に適合し、その他は何時何分何秒をもって知るの他なし。』(明治2年4月29日・開知新報)

と、時計の見かたを説明しつつ、一日が24時間だという事を新聞で大々的に告知しなければ時間の【設定】が理解できませんでした。

それが今度は日付が一気に変わるのです。

『朕推(おも)うに、我国通行の暦たる、太陰の朔望をもって月を立て、太陽の躔土(てんど)に合す。故に二、三年間必ず閏月を置かざるを得ず。置閏の前後時に気候の早晩あり、ついに推歩の差を生ずるに至る。…』(明治5年11月・新聞雑誌)

と、前振りを置いて何故変わらないといけないのかを一応説明していました。混乱を避けるために、「一年を365日とし、4年毎に閏年を設ける事を、来る12月3日から実施しますよ~」と告知したのです。

布告したのが11月9日で、あとひと月も無いという急激な改変ですよ…。

年末を飛び越えて急に新年お正月となるので、国民は年末の諸々をすっ飛ばす事になったのだからそりゃあ混乱でしょうよ…。年末の支払いや仕入れの予定だって云わば帳消し。「12月急に無くなっちゃって新年になったから、お金渡すのもちょっとごめんなさいね~~!」と無茶苦茶な契約不履行もあったようで、借金を抱えて倒産や夜逃げ、首吊りなどという悲惨な事件も数多く、改暦によって多々犠牲があったそうです。

要は明治政府が財政難で、しかも当時の横浜の造船所にならって同じ月給制としていたので、一年に13ヶ月(旧暦)よりは12ヶ月の方が支払いも少なくて済むと考えた苦肉の策な訳です。諸外国との約束事の日時が太陰暦と太陽暦で混乱する事も避けて…という事もありますが、主に金の問題です。(苦笑)

何時の世も犠牲になるのは庶民ばかり…。政を取り仕切る政治家だけが肥え太る。

グレゴリオ暦になってから旧暦よりも単純に月日が分かるようになって、便利になったのはとても有難いですね。閏日の調整も4年に一度で済むのですから。

祭事については旧暦で取り仕切るという事もまだまだ残っている地域もあれば、旧暦の日にちをそのまま新暦の暦に当て嵌めて季節に混乱が生じている行事もあるしで、暦一つ取ってもなかなかに面白いですね。

今年は一年366日。

一日増えた時間はどのように過ごされましたでしょうか、皆さん。





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