ねこじぞう本舗

家族(猫6匹)との日常や、郷里の思い出を忘れずにとどめておきたいなあとか思ってゆるゆる始めてみました。アニメや漫画も好きなので、イラストもアップしつつお気楽にやって行こうと思います。不定期更新。

ほのあかきぬくもり ~和のあかり展~

蝋燭の灯り・赤提灯・灯篭………
人は何故、この仄明るいものに心寄せるのだろうか。


まばゆいネオンや、ギラギラと真昼のような蛍光灯には見向きもせず、不安定な薄暗いものに まるで吸い寄せられるように足を向ける。


和のあかりは全てを曖昧に包み込んで、何故かしら、安らぎや温もりを感じさせる……


と、いう事でやって来ました目黒雅叙園リターンズ(笑)
           【和のあかり展】×【百段階段】
                         あかりを落とした文化財を灯す、日本の色彩、日本の祭り。



というコンセプトで催されているこの展示会。
年に一度、この会期中だけ普段は撮影禁止の部屋が撮影できるとあって、行った時は超混み込みの人だかり…(-_-;)
(来る前に上野不忍池の蓮の花を撮影してたし、時間的にも午後1時過ぎならそりゃ混むわな~(笑))
多分また来る、きっと来る。そう願いつつ今回はイモ洗い状態で流れようと思いました。
入場口で最初に出迎えたのは山口県柳井市の【金魚ちょうちん】でした。
                            雰囲気を感じて頂く為に、下地を黒で縁取ってます。

一番目の部屋は【十畝(じっぽ)の間】。 天井画は花鳥で、太い柱に黒漆を塗り螺鈿細工を施した重厚な作りのお部屋でした。部屋の名は花鳥を描いた荒木十畝から。

入口には福井県からの出展で、越前和紙で作られた行燈とスイセンの花が飾られていました。 紙というマテリアルが部屋の中にどっしりと、陶器で出来た花器を思わせるような重みをもって存在する。 光の成せる不思議さと和紙の可能性が生んだ美しい作品でした。 和紙工芸の進化は他の何より先を行っている気がします。
                ※画面の円の花鳥画は天井画の一部を切り取って配置しました。

下の水墨画は、墨絵アーティストの西元裕貴氏の作品です。
左の竜は入り口付近に展示されていた作品で、室内には別の襖絵の竜が大きくうねっています。 マグマにも似た強大なエネルギーを秘めて、闇に潜む主は人々を見つめていました。それとは対照態に掛け軸の女性は静かに佇んでいて、女神のような神聖性を感じました。西元氏は【大胆にして繊細】な作風で知られる新進気鋭のアーティストです。
今回目黒雅叙園に初出展との事で、間近に見られて感動しました…!


       
次に入ったのは【漁樵(ぎょしょう)の間】。
中国の【漁樵問答】の一場面を表した床柱の彫刻からの由来です。
この部屋は純金箔・純金泥・純金砂子というまさに豪華絢爛といった作りで、全てが超一級の美術作品…!圧倒されます!こここそ全体を撮りたかった…!
床柱は直径約60cmの立派な米檜で、樹齢280~300年ものだそうです。尾竹竹坡原図で盛鳳嶺が彫刻し、向かって右は漁師・左に樵を配しています。ボケて悔しい一枚…(-"-)

 ■床の間正面の美人画は菊池華秋作。

 ■欄間の彫刻は尾竹竹坡揮毫(きごう) 。五節句を配して四季折々の風景を楽しめます。

つい、室内装飾に目を奪われてしまいましたが、そんな緻密な作品に対抗できるのがこのねぶたの灯り。大胆で躍動感に満ちて迫力があります!漁樵の間に引けを取らない力強さのあるねぶたは、去年に引き続きの同室だそうです。

ところで、百段階段はまだまだ中腹にも辿り着いていません…。
階段の天井には扇形の図面に四季の花鳥が描かれ、これを一枚一枚見るだけでも時間がかかります。

  \\いらっしゃいませ【草丘(そうきゅう)の間】へ//

妖怪たちがお出迎えしてくれたこの部屋の名は、天井画と欄間絵を描いた磯部草丘の名が由来。 この愛嬌のある妖怪たちは、妖怪絵師 満尾洋之氏の「平成 妖怪百鬼夜行立体絵巻」という作品です。
和のあかり……そういえば【ちょうちんおばけ】も【狐火】も【火車】も【輪入道】も、一応日本の【あかり】に通じるのか……な……?(^_^;)

日本の原風景の夜とは、蛍の灯り・月の灯りが無ければ全く何も見えないような真っ暗闇でした。(今でもそんな場所がどこかに存在するはず。ウチの島もそう。)
ほんの僅かに足元を照らす提灯の火が心強くもあると同時に、いつ消えてしまうかもしれぬ不安が心の片隅にきっとあったと思います。
闇に潜む物の怪たちのいかにも怪しげな光も、提灯のイメージと重なって、おどろおどろしく不安定な灯りを想像したのかもしれません。 闇への恐怖と付喪神(妖怪)の信仰は百鬼夜行に結果しますが……この部屋のコンセプトもそれに近いものなのでしょうか…?
※下の写真は妖怪のパネルの一部を透かして投影させたもので、実際の展示にはありません(^_^;) 部屋の擦りガラスがいい感じでしたので、テーマにちょっと合わせてみたかったんです…。

そういえば以前、お腹の子供は光を感じるか?って調べた時に、感じる器官は発達していて、目は見えなくても外界の昼夜は感じるという研究報告を読んだ事があったなあ…。
薄暗い灯りはもしかすると、胎児が母体から赤い波長を感じた時の色に似ているのかもしれない。(青い光は波長が短いので遮断される)手のひらを太陽にの歌詞のように透かした掌の赤い色も丁度似ているし…母体に居た時の安心感もよみがえるのかな…。(あ、そういやB'Zも歌ってたなあ…「誰もが胸の奥によく似た夕日を持ってる」って。この感じももしかするとそうかも…)

丁度今、国立公文書館と江戸東京博物館で地獄展と妖怪展やってるから、勉強も兼ねて合わせて見に行ってこようかな。今月末までだから結構ギリだけど~~(^_^;)
        

        


気が付けば、草丘の間の作品一つも上げてなかった(^_^;) でも上手く撮れたのはこれだけ…。冬の雀はお気に入りだったので、何とか撮れてて良かった~~!スズメちゃん好き♡

次の【清水の間】は部屋が二つに仕切られていて、奥の間天井画はは池上秀畝の舞鶴と鳳凰・四方の欄間は小山大月の秋草が描かれています。今までの華やかさから比べると落ち着いた地味なお部屋です。

ここには着物を改造して作られた、素敵なデザインのドレスや花嫁衣装が展示されていました。そういえば目黒雅叙園って総合結婚式場だったんだよなあ…(^_^;)

隣の間には歌舞伎の連獅子の衣装が展示されていたのですが、部屋共々写真が手ブレ過ぎたので、次回に頑張ろうと思います…(^_^;) 橋本清水の欄間絵も全滅でした…。
そして階段を上り次の【星光の間】に入ると、今回一番見たかった方の作品が展示されていました\(^o^)/

簪作家 榮さんの作品…やっと実物を拝めた~~~\(^o^)/
この繊細な花の色!自然の造形に迫った緻密さ!ブーケとか花飾りって生花の美しさにはかなわないと思ってたけど、榮さんの作品をTVで初めて見た時に息をのむほど美しくて「こんなすごい物作る人がいるんだ!!」って衝撃を受けました…!
ガラス越しとはいえ、間近に見られて嬉しかった~~!!!
4点だけの展示だったけど、いつか他の作品もきっと見てやる~~~!!!

こちらからは造形作家 川村忠晴氏による【草木のあかり】。
木の葉や種・貝殻といった自然の造形を利用した灯りはとても可愛らしくて、玄関や机の上にさりげなく置いておきたい…。インテリアに欲しい…。(小っちゃいもの位なら私にも買えると思っていたのに、既に売り切れていました…(T_T) はっぱさん…欲しかった)

こんな風に壁掛けになっているのもおしゃれですよね(#^.^#)

この部屋は趣味のものが多くて、どの作品にも人だかりで大盛況でした(^_^;)

お次は【清方の間】
そう。 美人画の大家、鏑木清方です。全面に清方の作品を配した清方美術館です…。

この部屋に窮屈そうにおさめられているのはオロチ退治に使用される人形です。
神楽の衣装や面が一緒に展示されていましたが、機械仕掛けで動いたら面白かったのに…ちょっと残念な気がしました(^_^;)

次の階段を上りきったら百段目の最上階。最後のお部屋が控えています。

この部屋は切り絵作家・早川鉄平氏の【伊吹の森】という作品が、天井にも襖にも広がっていました。 畳の上に敷かれた長めの人工芝生のふかふかとした踏み心地が、草の上を歩いているようで気持ち良かった~(#^.^#)

白黒の切り絵の浮き立つような力強さと、光に反射したり透過したりするフォルムの重なりが森の深さを感じさせる作品。天井画には松岡映丘門下の方の作品が居並び、美しい彩色の動物や植物が描かれています。が、それを凌ぐほどの力量で白と黒の襖絵が迫って来ます。切り絵もこうして大きな作品にするととても見ごたえがあるし、作品世界に入り込んだような気分になれます。清々しい部屋でした!

ここまで100段階段を一気に見学しましたが、やはり時間がある時に襖絵や天井画などをじっくりつぶさに見てみたいです。(そして撮影したい!手ブレばかりで上手く写せなかったから…) 
それぞれの部屋にそれぞれの灯りがあって、とても見ごたえのある展示会でした!
【和のあかり】というテーマでこんなに多様な展開が見られるなんて、豊かでとても奥深い地域文化に感動します。
おそらく来年も催されるだろう事を期待しつつ、そしてもう一回位見に行ける事を願いつつ、一旦退場しました…。
          何故なら…まだ見てない場所があるからっ…!



そう……エントランスからのアプローチ、前回の雛人形の時にも写したあの招きの大門前。ここを見逃してはいけないっっ!!


和紙の色が浮き出るこの煌びやかでダイナミックな和のあかり版エレクトリカル・パレードの美を見て下さいっっ!!職人さんの技と、感性と、伝統文化のきらめきを!!
これらが街中を悠然と練り歩く夜祭りこそが最大の見せ所!
鮮やかな花火の如く、鮮烈に夏の記憶を彩るこの圧倒感がたまらない\(^o^)/\(^o^)/
一気にお祭り気分で血が騒ぎます!!


そして灯りは異世界へといざなう灯りでもあります。


この幻想的な輝きを醸し出すのもやはり和紙から作られた灯り。

ガラスとはまた違った柔らかな光が温もりを感じさせますね。
造形も然ることながら、紙の厚さも漉き方も変えて、光の透過度やその陰影のもたらす効果を計算して作られた灯りの為の芸術作品。
和紙は本当に素晴らしい素材だと思います…。



続いて向かいましたのは建物奥のお庭です。
前回は気後れして探索できなかった所に、今回は突入したいと思います…!


振り返るとこんな感じ。何か…人間ってすごいですよねー………。こんな物作っちゃうんですから…。

と、まあ…こんな感じで(笑)今回はかなり自由気ままに満喫してきました\(^o^)/
【和のあかり展】は【あかり】というコンセプトだけでも限りなく広がるので、部屋ごとの見せ方とか纏まりが良かったと思いました。
そしてお庭の素晴らしい事…! ホント、住みたい。マジ住みたい。(笑)
陸の竜宮城はおもてなしの宝庫でした(#^.^#)


外に出ると夏の青空がいっぱいに広がっていて、雨雲がどこかに流れて行っていました。 帰りはかなり暑かったです! 坂道は汗だくでした!


       という事で……! 目黒雅叙園さん、また遊びに来ます!
      そして今度こそ、あのカフェラウンジでお茶するんだ!!
          お楽しみはまだまだある方がいいっ!\(^o^)/


         そう誓った2016年 8月の始まりでした~~!
                   ↑
         (つまりは、また書くのが遅れたわけやね…(^_^;))



P・S  今回はアップする画像が多過ぎて、加工とか編集作業にかなり時間がかかりまし     
    た……(-_-;) うん…疲れた……(笑) 


獅子、盂蘭盆会に舞う


10時から踊りが始まるという事で、9時半に着けばいいかなー…と思って行ったら既に御挨拶が始まっておりました(^_^;)

できれば獅子舞の踊りの意味とか前もって訊きたかったのですが、このまま始まってしまいそうでしたので、写真を撮るべく大人しく裏手に回りました。

                     それぞれの定位置に着くと【宮参り】【津島】【早岡崎】を舞います。

宮参り】は本殿をぐるりと一回りしてからこの地に来た事を告げる舞です。

次に踊られる【津島】【早岡崎】は悪霊や疫病を追い出す踊りです。

            角には「雨下無双角兵衛」(あめがしたむそうかくべい)と刻まれています。

舞が終わると最後に太夫獅子の後ろに御幣を持った太夫が立ち、村を回る前に呪法を唱え【九字切り】をして社内の式は終わります。

神社から出た獅子達は「村回り」をするべく下間久里の村を練り踊るのですが、家の中で踊る舞は神社で舞ったものとは違って、子孫繁栄などの「地固めの舞」を披露するのだそうです。下間久里の獅子舞の曲目は全部で16曲も保存されていて、目的別で演目も変わるようです。途中「ヤド」と呼ばれる家で休憩をはさんで夜まで続けられます。

熱中症が心配ですね…(^_^;) 

                        お堂に安置されている古い獅子頭


下間久里の獅子舞の歴史についてちょこっと…

お祭りが終わって後から少しお話を訊けたのですが、この獅子舞は文禄三年(1594年)旅の一行が道中に下間久里に立ち寄りこれを伝えた事に始まるのだそうです。

文禄…と言いますと、秀吉が朝鮮出兵を掛けた年代です。

国内の戦が一通り落ち着き、徳川家康が江戸に入場してから4年経った頃です。

下間久里の香取神社の建てられた年代は定かではありませんが、埼玉県東部古利根川東は香取神社(天津神系)が集中していて、越谷は古く元荒川を境に久伊豆神社(祭神:大己貴命(オオナムチノミコト・スサノオノミコトの子)出雲系)の分布と別れていたという事です。

今の地図上では久伊豆と香取で入り組んでいますが、当時と現在では川の流れが違っているので、この辺りは関東開拓に起因するのかもしれません。

という事で、由来的には元々この地に香取様(か、出雲系以外)がお祭りされていたであろうと推測しています。(因みに氷川神社は出雲系で、元荒川西部・多摩川流域に多く、埼玉県南部・東京地域はこれに当たる


「享保五年 松崎平左衛門は葛飾郡香取神社(庄和町)の獅子舞を伝授す」という記録も
残っているので、松崎家は村の名士としてだけではなく、獅子舞の継承に大きく関わっていたのではないかと思われます。

もっと詳しく知りたいのですが、残念ながら他所様の系図でプライベートな事なので、さすがに突撃するわけにもいきません……(^_^;)
しかしそのお役目は現代も変わらぬようで、保存と伝承に貢献していらっしゃるようです。

そして最後に獅子舞と共に居た最大の謎(笑)【花笠】について判った事を少し。

最終的に花笠に憑いた魂は田んぼへ連れて行き、用水路の水を伝わらせて海へ送るそうで、海の水平線から天が近いのでそこから成仏させるのだといいます。

獅子が悪鬼や疫病を追い出し、花笠がその他の霊魂を拾い上げ成仏させる。いいコンビネーションですよね(笑)

あと、花笠の御幣は5本ありますが、何故4色しかないのか?(陰陽五行の木火土水金は 木=東=青龍=青火=南=朱雀=赤土=中央(天位)=黄・金=西=白虎=白・水=北=玄武=・紫)中央と前方の色は「赤」で変化しないのに、何故その他の御幣は毎年変わった位置にあるのか?とかは分かりませんでした…。

まったく勉強不足です…(-_-;)


下間久里の獅子舞は派手さはありませんでしたが、淡々と、信仰と共に今も生活に息づいていました。

まだまだ知らない歴史が御近所中溢れているのだなあ…という事も改めて知りましたし、新たな情報や知識を収集できてとてもいい機会だったと思いました。

今年は今年の、来年には来年の何か面白い事が見つかるかもしれないので、今後も継続して下間久里の探索をしてみたいと思います(#^.^#)

最近仏像づいているので(笑)御神仏とか出会えたらいいな~~!



ビギナーの見る「観音の里の祈りとくらし展」

……PCを開けると メールボックスに、東京藝大大学美術館の内覧会参加通知が入っていた…。
気が付いたのは開催2日前……!(内覧会は7月4日)(-_-;)


発見が遅れた原因は、6月の2週目辺りから「モデムに接続していません」というエラー表示が入って、ネットの画面がフリーズ・あるいは表示できないという事が頻繁に起こったからです…。
始めは、例のウインドウズ10への更新攻撃が原因か?はたまたウイルスか?とか思ったのですが、結局はモデム本体が故障していたようです…。
プロバイダーに連絡して引き取ってもらって、新しいモデムを接続したら不具合が直りました…。もっと早くそうしておけば良かったよ…。自力で直そうとシステムの復元試みたり、ツールで修復図ったり……ワタクシのこの3週間は一体何だったんだ……(-_-;)


   と、余談はここまでにして、
        メールボックスに参加当選通知が入っていたという事で………。


久し振りに訪れた藝大美術館は夕方6時前。
小雨も降っていて少し薄暗くて、ひと気の無さに心持ち不安でした。

            学校を出る藝大生ばかりが通りすぎて、本当に今日だよね…?って…思ったりして…

長浜で土豪(どごう・土地の有力者)の息子として生まれ育った三成も、もしかするとそんな村人の姿を見てきたかもしれないし、その仏像を拝んだ事があるかもしれない……。
そう考えただけで……ああ……っ!


この仏様たちがどれだけの想いに寄り添ってきたのか。
どれだけの歴史を見続けてきたのか。
その痕跡を、たとえ僅かだとしても、間近で感じてみたくもなるでしょう!!
第三の眼(ルーペ)で拡大して読み取る事こそが、歴史ファンの醍醐味でしょうがっ!!
だからこそ参加したい!写真に残したい!みんなに伝えたい………!


…………と……柄にもなく熱い想いで臨んだせいなのか……
         
           伝えたかった写真はみんなピンボケしていた……(-_-;)
                    (単にヘタクソともいう…)


内覧会の参加者は30人。全てブロガーさん達です。
美術専門の方もいらっしゃるので、流石に行動が慣れているというか、皆さんお目当ての仏像にサッと移動して写真を撮りまくっている。
私も負けじと最初に向かったのが医王寺(いおうじ)の十一面観音でしたが、ここでまさかの足止めを食らう事になろうとは思わなかった…。

この均整のとれた美しいフォルム。女性のような、軽くひねった細腰。直垂(ひたたれ)る衣の曲線の優美さを見て下さい……。
よくわかりませんね~~~っ!(笑)
済みません! ホント、ボケボケで!!
いや、沢山撮りました!角度も変えました! でも、何度撮っても手振れでシルエットがボケまくりで、上の写真がその中で一番良く撮れた方なんですっ!
写真の説明文にも記されているように、この観音像は元々医王寺にあったものではありません。おそらく明治の廃仏毀釈により流出した像ではないかと思われ、その由来は定かではありません。


長浜の仏像のいくつかは、戦火を逃れて運ばれて来たものや、隠すために水に沈めたもの、やむなく土に埋めたものなど、今の場所に落ち着くまでに様々な艱難辛苦を味わされてきた経緯があります。
信仰深い村人たちの手厚い保護・保全により、寺が廃寺になった村落でも奇跡的に拝顔する事が出来るわけです。


そして気が付けば10分位粘っていたかと思います。完っ璧に時間配分間違えましたっっ(-_-;)
まだまだ40軀以上あるというのに、1時間という制限の中で6分の1をこの1軀に費やしてしまいました…。
……サクサク行きたいと思います。

胸元の二本を除いた40本のそれぞれで25の世界を救うものとされていて、25×40=1000という解釈になっています。
(因みに、仏教では天国から地獄までには25の世界があると考えられていて、下から、欲界に14有(う)・色界に7有・無色界に4有の「三界二十五有」というのだそうです。無色界が全ての世界の最上階なので「有頂天」と言って、それが俗語に転用されて絶頂の中で上の空になる状態を表す意味になったそうです。)
また、今回の展示には非常に珍しいユニークな観音様もいらっしゃっていて、千手だけじゃない!足も千あるぞ!という「千手千足観音」様が初お目見え。
後姿が若干カニめいていますが(笑)仏像マニア垂涎の的となるのは間違いないでしょうね。(横に金ちゃん走りをさせてみたいと秘かに思った事はナイショの話…)

仏像の造形というのは基本、その姿形を勝手に変える事はなく、経典など教義に添って形作られているそうです。基本形態が殆ど変わらないのは、仏様の尊いお姿を世に写すだけでなく、仏教の意味を正しく伝える為の視覚の教義ではないかと私は思っています。ですから、千手千足観音もその教義を「伝える形」としてこのようになったのだろうと推測しています。
実際、鎌倉時代の「天台系図像集」には千足観音の記録があるそうで、天台密教との関わりがあると見られています。
元々は阿曽津秀道という土豪の内室の守り本尊だったそうですが、希少性を含め、村人たちにとっても自慢の仏様なのでしょうね。
希少性で言うと、こちらは33年に一度しか拝観できないという貴重な仏様がいらっしゃいます。御座す場所は飛び地境内内にあるという事で(東林寺)となっています。

(言い方が若干誤解を招きそうなので付け足しますが、馬頭観音自体は憤怒の面相が普通です。【観音菩薩】の類として、という意味ですので…。ついでに何で憤怒なのかというと、魔障を退ける為。)


上の写真は国土を守る持国天と、財徳と軍神の多聞天。石道寺御本尊の十一面観音立像の脇侍(きょうじ・わきじ)として左右に並び立っているものです。
見た目も強面で大きいのですが、それに反して動きが小さくて大人しい感じに纏まっているので、ワタクシとしては少し物足りない感じです。
しかし、会場内で今まで見た仏様達と違って深く彫られた衣が非常に立体的で、物の質量のリアルが感じられたので、目が覚めた気がしました(笑)。
(多聞天は北方を守る四天王の一尊ですが、独尊神として祀られる時は毘沙門天という名で呼ばれます。)


ざっと紹介しましたけれど、当然全部を紹介しきれるわけもなく…。
だってまだこんなにあるんですよ…。しかも隣の室にも……(-_-;)


これだけの仏様を見られる機会はなかなかありません。
しかも、一つの市町村単位の地域から、国指定重要文化財16点・滋賀県指定有形文化財7点・長浜市指定文化財20点もここに集っているのですから驚異的です。
実際に長浜市にレンタカーでも借りてこれらを観に行ったとしても、一日で回れるのはほんの3~4件程度だそうです。そのうえ、祀られてる御本尊が見られるかどうかも分かりません…。(御開帳されていないものもあります)
そんな貴重な長浜の仏様達を一度に間近で見られるのも、たったひと月という短い会期中だけです…。


それにしても、いくら内覧会だとしても1時間の制限で全部を見るのは酷すぎる…。じっくり時間をかけて見なければ、一軀一軀の背景がイマイチ感じられな………


……ハッ…!


これは「何回も見に来い」という美術館側の策略では……!?
ちくしょうっ! ハマったっ! ハメられたっ!! ジーザス!!(いや、仏像だから)


「時間になりましたので、そろそろ閉館とさせていただきます…」


美術館員のツルの一声と共に、ブロガー達は未練タラタラに部屋を出て行く。
撮り残した仏像達にくらいつき、「せめてこれだけ!あとこれだけ!」と目で訴えつつ、シャッターを下ろし続けた諦めの悪い私を許して下さい……。
マジでピンボケ大量生産機だったんです……(T_T)
「I’ll be back……」
ええ。 もう撮影は出来ないけれど、また見に来ますよ…。
ターミネーター張りにワタクシはしつこいんですよ…
取りこぼした稲穂を拾うがごとく、仏様達を守り続けた人々の背景を考えながらせめてあと2回は。
そう強く思いつつ、美術館を後にしました。


美術館を出ると雨も上がって、遠くにセミの声が控え目に聞こえていました。
ここは上野公園の一角なので、建物が沢山の樹木に囲まれていて自然が豊かです。
人通りの多い観光地も、夕暮れを過ぎれば落ち着いた雰囲気になります。

         道路沿いに国立博物館方面に向かって。信号機の石造りの建物は博物館動物園駅跡。
噴水広場の両サイドには、大きな喫茶店が出来た。こっちはスタバ。

公園を歩きながら今回の内覧会について考えていたのですが、仏像美術…というよりもやはり時代背景を主に見てしまう様な展示会であったかなと、個人的に思いました。
パンチの利いたものもいくつかありましたが、正直、素朴な仏様ばかりでした。
 仏像マニアなら狂喜乱舞でしょうが…生憎と私は仏像ビギナー。どっちかと言えば歴史(主に幕末)オタク。


故に一番気になったのは「惣村」(そうそん)と呼ばれる古い村落共同体の歴史と営みでした。
その中の信仰と共に生きてきたからこその「姿」が像にも表れ、今の地域の「姿」が残されているのだと思います。それらの意味を考えた時、今後の保存の在り方というものについて思わさざるを得ません。
そこで、最後に一つだけ、これは是非見せたい・見てほしいという仏様を紹介したいと思います。

この見るも無残なお姿を、皆さんはどう思われるでしょうか。
この如来様と共に現在10軀の仏様が安念寺には安置されています。
始めにも書きましたが、この地は多くの戦乱に巻き込まれました。
安念寺は信長の比叡山焼き討ちの際に兵火にかけられて焼失してしまいました。
そんな中、村人たちがとった行動とは、門前にあった田んぼを掘り起し、仏像達を埋めて隠すというものでした。
大きな像を遠くに運ぶ事は難しく、沈める川もない。
必死の思いで守ろうとしたのだと思います。
その際に像は大きく破損して、漆箔も剥がれて、傷だらけの状態で掘り起こされました。
それでも  村人たちにとってはなくてはならない大事な仏様だったのです。
姿かたちは変わっても、たとえ朽ちてしまっても、その像が心の拠り所であり、信仰の対象であり、人と人とを繋ぐ楔であったのだと思います。


時代の流れの中、多くの村落で過疎化が進み、廃寺になる寺が増えていきました。
ですが、小さなお堂やお寺は見捨てられる事なく、地元に残る住人達によって大切に守られ保存されてきました。
国が援助してきたわけではないのです。全ては住人達の努力によるものです。
仏様もそこにある景色も自然も、村人たちの信仰と生活がその姿を残してきたのです。
そのボロボロになってしまった像が、人と村を支えてきたのです。
姿かたちだけでない、精神性の大切さを、この如来像は教えてくれます。


ここから先増々高齢化が進み、山村においては特にこれらを管理する事は非常に困難な状況になってくると思います。その存在さえ忘れられてしまうかもしれません。


美術だけではない、その仏様の背景を思って頂けたら、より愛着を持てるかもしれません。



何だか湿っぽくなってしまいましたが、観音の里の祈りとくらし展・Ⅱは 2016年 8月7日(日)まで、東京藝術大学大学美術館で開催しております。


時間は 午前10時 - 午後5時(金曜日は午後8時まで)入館は閉館の30分前まで 
休館日は 月曜日(ただし、7月18日は開館)、7月19日となっております。


機会がありましたら是非お立ち寄りください(^O^)/

夏越の祓で健康祈願

ここ数か月…いや、金運に至ってはここ二年強、あまりにも出費が激しい…(-_-;)
二年前、郷里のおばあの状態が悪いという事で急遽島へ帰った。
そのひと月後、父の受勲があって母も連れて東京へ行く事になり、3日間だけだったけど娘なりの親孝行を努めた。
その直後、妙ちゃんが千代治君に喉元を強く噛まれて手術になり、貫九郎→鈴→小太郎→梅→妙→貫九郎→鈴→千代治→小太郎…と、現在に至って代わる代わる手術と大病を含めての病院通いが続いている…。
正直、ママの稼ぎはパートに毛が生えた程度なので、病院費が非常に家計を圧迫している。自分の病気の治療も もう殆ど行っていない。
6月半ばにはついに会社を3日も休んでしまって、そろそろ身体も限界にきている…。
流石にマズイ…とは思うものの、先立つものが限られているので、優先順位は自ずと子供達へ…。
(せめて、少しでもウチの子達が健康になって、私ももう暫く耐えられれば何とかなるんだけどなあ……。)
そう……微々たるものでも一応夏のボーナスが出るので、それが出たら少しは楽になる。それまでは何とか……


という事で、何の宗教に入っているわけでもないけど、いざという時の神頼みで(笑)厄落とし&健康祈願に行ってきました【夏越の祓】。


         越谷市北越谷の香取神社。住んでいる地域の土地神様なのでよくここへ来てます。
【夏越の祓】(なごしのはらえ)を知らない方に少し説明を致しますが……
水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというふなり」(詠み人知らず)
と、拾遺和歌集にもある程、実は古くからある神事です。
始まりは神話時代の伊弉諾尊(イザナギノミコト)にまでまで遡るとか…。
元々は宮中の行事として行われていたもので、門前(多くは朱雀門)で親王や貴族官僚だけでなく、国民全体の罪穢れを払う事で国家の安寧を祈願していました。
夏に行われるものは【夏越の祓】【夏越神事】【六月祓】などと呼ばれ、12月の晦日は【年越の祓】として、この二つを特別な【大祓】としていました。(神社では祓いの儀式は日常的にあるので)
民間でも同じく各所で半年ごとの罪穢れを祓い清め、この先半年もまた健康でいられるよう祈願が執り行われていましたが、応仁の乱(1467年~77年・室町時代)以降、神仏習合で廃れていってしまいました。
しかし明治になり、神仏分離が行われてようやく全国の神社でも復活したわけです。


写真の真ん中にある輪っかが茅の輪(ちのわ)で、両脇に神様の憑代としての笹の木を立てたり、鳥居を利用したりして支えているのがスタンダードな形。(勿論鳥居の柱に憑代を括り付けています)これを潜るから【茅の輪くぐり】と言います。
(ちょっとオカルトの話に脱線すると、メビウスの輪の循環で始めであり終りである・脱皮と再生をする蛇のような意味合いもあるかもしれません。)
出雲大社とか大神(おおみわ)神社などは茅の輪の数や形がちょっと変わっているので、参拝の仕方もやはり少し違っています。厄や穢れを移した形代(かたしろ)を川に流す所もあるので地域によっては古いスタイルが見られます。

茅の輪くぐりの由来は蘇民将来伝説が元とされていますが、これにはいくつかの話がありまして…。
上の写真では小さくて読みにくいと思いますが、【備後国風土記】からの由来だと香取神社は説明していますので、そちらの物語を掻い摘んで話します。


昔、武塔神(むとうのかみ・むとうしん)が旅の道中、日が暮れたので泊まる所を探していました。お金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)に一夜の宿を願い出たのですが断られ、その兄の蘇民将来(そみんしょうらい)の方にも願い出てみました。兄の蘇民将来は貧しいながらも精一杯もてなして、床を貸してあげました。その後再来した武塔神は「私は速須佐雄能神(スサノオノミコト)である」と明かして、一家・一族の目印として茅を結びつけるつけるように…と言い残したそうです。
その後疫病が流行り、巨旦将来の一族は滅んでしまいましたが、蘇民将来の茅の目印を付けた一族は免れたということです。
茅の輪くぐり以外にも【蘇民将来信仰】として独立した信仰が各地に残っており、京都八坂神社や長野県上田市の信濃国分寺・岩手県内の地域など、主に【国津神系】と呼ばれる神社で護符が配られたり祭礼が行われています。


もう一つは武塔神ではなく牛頭天皇(ごずてんのう)が来訪する物語ですが、ほぼ同じストーリーです。(牛頭天皇はスサノオと同一であるとされています。この辺は説明が長いので割愛させて頂きます…)
元々の茅の印のように、今でも厄除けとしての茅の輪のお守りを身に着けていたり、「蘇民将来子孫也」「蘇民将来子孫之門」と書かれたお札を玄関や鴨居に置いたりしている所があるようですが、民間伝承が今も生活に生きているというのはとても面白いですよね。


続いては地域の氏子さん達が代表して玉串(榊)を神様に捧げて拝礼をして、各自治区の御祓い祈願をします。これにて一先ずお浄めの儀式は終了。
氏子さん達はその後直会(なおらい)があり、一般参加者は拝殿を出てからお神酒を盃に一杯頂いて帰ります。



直会をもって【斎戒(さいかい・神事を行う者が心身を慎み清らかでいる事)】を解かれ、通常の生活に戻る事になります。これを【解斎(げさい)】と言い、これで夏越の祓・全てが終了です。
川に形代を流したり茅のお守りを配布する所もあるので、地域ごとに若干の違いがあって一概に同じとは言えませんが、北越谷香取神社ではこのような形式になっております。
それから、茅の輪の「茅」は穢れを除く為の物で、既に人々の穢れを吸収しております…。間違っても茅を引き抜いてお守りにしないようにして下さい…。たまに見かけますので…。
この行事に参加したい、でも用事があって行けない…という方の為に、形代だけ事前に神社に納めるという事もできます。(この場合は初穂料が幾分かかかります)


そういえば、最近では色んな形代がありまして…

(……確か神田明神にはPCのお守りだか何だかあったような気が~~~(-_-;) )


北越谷香取神社のように一枚の人形に家族の氏名を書いて全部合わせてお祓いできる所もありますが、別々に書いてそれぞれに初穂料を申し込む所もありますので、その辺も事前に確かめておくといいでしょうね。


今年夏越の祓に行けなかった方・神社の祭礼に興味をもたれた方は、来年にでも参加してみて下さい(#^.^#)
        

      たまには神聖な気分になるのもいいですよー。


 

    PS.済みません~!誤字がありましたああっ!!直しがきかないのでここで書きま      

    すが、祝詞の紙とお祓いの包みを写した写真の説明で「本殿」と打ってしまい

    ましたが、「拝殿」です~~!大きな間違いです~!

    本殿は神様の御住まいで拝殿は人が拝む場所です。人は御住まいには上がれませ    

    ん~~~(-_-;)

ただいま療養中(主にネコ)にて

大分空いてしまった。
「二か月投稿が無ければ変な広告出るよ~。」と友人に脅されて、何とか言い訳レベルでもいいから記事アップしなければ…!と思って今書いてます(^_^;)
ツイッターにはちょこちょこ顔出して書いてるのですけど、殆どRTかウチの子の病状報告ばかりで何の面白味もないホームになりつつあります…。
ブログの書きかけの記事の日付は3月末。丁度花見シーズンで、本来ならフル稼働で写真を撮りまくる態勢に入る頃。
今年の4月は例年になく仕事が忙しくなり、休日返上で出勤と残業が続いてました。 
それでも仕事帰り(夜勤固定勤務なので朝帰り)に写真撮ったり、寝ずにイベントに出掛けてたりしてまして…その結果、体調を崩して暫く寝たきりになっていました…。(その上扁桃腺に菌が付着して高熱も出した)
自分だけならまだよかったのですが、ようやく会社に復帰出来た頃に鈴ちゃんが嘔吐と熱で病院通いになってしまい、やっと元気になったかと思えば、次は千代治君が嘔吐と飲まず食わずで黄疸が出てしまって…現在に至ります……(-_-;)

写真は鈴ちゃん。一年ほど前から徐々に脚の筋肉が細くなって、筋ジストロフィーのような状態にあります。原因不明なのでとても心配です…。一番活発な子だったのに…。
千代治君は異物誤飲の可能性もあったのでバリウムを飲ませて24時間体制でレントゲンも撮って頂いたのですが、これと言って何もなく原因もつかめず…。 
ウイルス検査もシロで、黄疸と白血球の数値だけが異常に高かったので、吐き気を抑える薬とポンプで2時間毎に10㏄の流動食を与えて、肝リピドーシスになるのを防いでいる所です。千代治君は一応抵抗はするのですが、ここは我慢して頑張ってもらってます。
今はただ栄養を取ってもらうしか術がなくて、お薬で治せるとかいうものでもないし、一進一退が非常にもどかしく思います。
でも一番苦しいのは千代治君だし、もし死んでしまったら…とか怖い考えが過ると辛くて悲しいので、とにかく、家に居る間は出来る限り千代治君の側に居て看護をしている毎日です。

体調の悪い千代治君(上)にくっついてねんねする梅ちゃん。他の4匹の兄弟姉妹のずっと後にそれぞれウチに来たので、何だかノラちゃん同士ウマが合うみたいで仲がいい二匹です。
春は行きたい所は沢山ありましたしお花見もゆっくり楽しみたかった。世界が柔らかな薄桃色に変わって町の風景も一変するから、この時期は一年で一番楽しみにしてるんですけど……。
残念ながら、今年は春とは縁が無かったようです…(T_T)
書きかけの記事は3月28日で小石川後楽園の記事だったのですが、あまりにも間が空き過ぎたので、ちょっと書き直して纏めようかどうしようか迷ってます。


仕事の方は少し残業が減ったので、今は千代治君の看護と、合間を見てちょこちょこイラストを進めて気分転換を図りつつ、もう少しブログも頑張ってみようと思います…。


千代治君の病気が早く治って、元気になってくれますように。